うなぎ in ゼリー

 
 4月が終わった。
愛する女子大の外に出て、共学の、男子が断然多い大学の雰囲気に圧倒されるのも、だんだんと慣れてきた。
 
「慣れ」とはこわいもので、7年間ものあいだ、自分と似たような感覚を持つ、体の大きさもそんなに変わらない女の子たちに囲まれて過ごしたわたしは、食堂に並ぶ列での前の男の子たちの背の高さや、両隣でパソコン作業をする男の子の身体の大きさ、たくましさに、その圧倒的に「強い」感じに、なんとなく悔しいような、羨ましいような気持ちになる。吸う息も吐く息も浅くなる。それはもう、不思議だ。
 
自分ががたがたと体調を崩しているときだったからということもあるかもしれないけれど。それでも、前の大学での気持ちの持ちよう、みたいなものを保つのが難しく感じることは確か。共学に通う妹に話を聞くと、リーダーや前に出る役は大体男の子がやると言う。そうなのかあ、そういう「文化」はなかった。男の子がいないので当然だ。女子大では、前に出たりリーダーをやること、グループを引っ張ることに、まったく躊躇する必要がなかった。どんな場面だって、わたしたちの「違い」はすべて、性別でなく、ただの個性だった。けれどもその個性の「多様さ」は、外から眺めると、さほど「多様」ではなかったみたいだ。
 
あのキャンパスを一歩出たことで、人の「内側」の違いだけじゃない、「外側」=身体の性質=性別が、いよいよ影響してきた。気がする。こんなことを感じるのは、今まであまりに「社会性」からかけ離れた、こぢんまり居心地の良いサンクチュアリで生きてきたからなのだろう。7年間その環境に甘んじてきたわたしの感覚の蓄積は、一方でその感覚そのものを麻痺させた。
いや、こう書くとあまりに大袈裟だと自分でも思うけれど、自分の中でも結構な「びっくり」だったのだ。
 
入学式、健康診断、ガイダンス。この三日間あのキャンパスに足を踏み入れることで、かなり消耗したように思う。そして次の週、授業の初日、2コマを終えて帰ろうして駅で倒れた。
 
身体的なものと精神的なもの、それぞれがいっぱいいっぱいだったのだろうということは想像できる。自分の身体なのにこんな言い方はおかしいけれど。
昔から、緊張に弱い。自分で自分に、ほれほれ、大丈夫よ〜と話しかけるのだけれど、効き目なんてありゃしない。そんでも、胃のあたりをさすさすしながら、きみ、もう少し感受性を弱められんのかいな〜と話しかける。
その弱々しさが、非常に情けなく、悔しくなる。あのとき男性の救急隊員に、ひょいと持ち上げられたときの、無力感。
ぼんやりと遠のく意識のなかでも、ただただ悔しくてたまらなかった、彼らへの申し訳なさに、自分のこの身体の情けなさに、泣けてきてしょうがなかった。
お兄さんは救急車の中でわたしが泣いていることに気付いて、なに勉強してるんですか?さいきんイギリス行きました?ぼくは前、バックパッカーで行って、でもロンドン物価高いですよね、あの、うなぎの料理食べました?あれ食べた方がいいですよ、ロンドンの、うなぎの店。絶対行ってくださいね、最高にまずいから!って、降りる直前まで痛みから気を紛らわし、元気づけてくれた。
あ、うなぎ、あの、ゼリーに入ったやつ、と、しゃくりあげながら笑ったわたしに、そうそう!と笑った彼の、頼もしさ。
 
わたしを抱えるあの腕の、なんと逞しいこと。涙でぐちょぐちょのわたしを見る目のなんと凛々しいこと。それに対して自分のこんな姿の、なんと情けないこと。
 
自分のコートをかけてくれた人、水を買ってきてそばに置いてくれた人、びっくりさせてしまった人、ごめんなさいもありがとうも、十分に言えないままだった。お兄さんへのお礼も蚊の鳴くような声でしか伝えられないままで、涙ばかりが次々にあふれたあの時間が、記憶に焼き付き、忘れられない。
 
 
「か弱さ」は、女の子らしさに結び付けられることが多い。
 
昨日はピーマンが食べられないと言ったら「かわいい」と言われて、びっくりした。幼さ、無力さ、か弱さ、そういうものは、なぜだか「女性性」にむすびつけられるらしい。
そこには同時に、ごくごく自然に、「権力」が生まれる。
 
強いものと、弱いもの。その二項対立に直面したとき、なんとかしてその概念を、構造を理解し、受け入れようとするのだけれど、なかなかそう簡単にはいかない。あたまでは分かるけど気持ちでは解せぬ、的なことだろうか。
 
たとえば、強くなればいいわけじゃない。男性性に憧れるわけでも、自分をそこに同化したいわけでもない。
でも――でも。この世に性がなければ、どんなに楽だったろうか。
女性でもない男性でもない、無性になりたい、と、ふわふわ思ってみたりしている。
性や、性の持つ暴力性は、わたしにとっては最大の難問であるようだ、なあ、
 
辛うじてわたしにできるのは、その手に負えないような難問も、自分の情けなさも、胃の痛みも抱えたまんまで、同じような、みんなよりちょっとだけ小さい身体を持つ「子ども」を想って語られた物語を読むこと。まだ自分を語る言葉を少ししか持たない彼らの、弱さとたしかさを掬い上げ、その存在への尊敬を、価値を、語り続けること。
 
そして、成長した彼らの、わたしたちの「生」を見つめ続けること。考え続けること。
 
ひー。すんごいまとまらなさ。こういうことを考えてぐるぐるして、時間が過ぎていく日々だ、たぶん、これからもずっと。答えと言えるものはきっと死ぬまで見つからない。この魂が何回か生きて死んでを繰り返し、ようやくすこし、わかってくるのかもしれない。そうじゃないかもしれない。
 
それでも、考えずにはいられない。
 
この魂が、今世で、ちょっと打たれ弱めのめんどくさい女性として物理的な身体をもって生きることになったことの意味を、なんとか見出したいなあ。
だれにとって役に立つとか、愛し愛されるとか、そういうわかりやすい価値はあんまりなくっても。
ちょっとばかしの、そういう、ひとつの「生」の意味を。
 
その合間に一回くらい、まずいうなぎ in ゼリーを味わってみたい。

いま立っている場所から

 

いいなあ、初めて、かあ!この歳になるとなかなか「初めて」ってなくなるから、いいわねえ。
と、名古屋から東京に向かう新幹線で、一緒に学会に参加した児童文学の先生に言われた。

 

旅行以外で、しかも一人で関西まで行くのは初めてで、ずっとどきどきわくわくしていた。日本イギリス児童文学会の研究大会にて発表をするのは二回目。この学会で初めての研究発表をしたのが、ちょうど一年前の今頃だった。

それを先生に話すと、そう言われたのだ。新鮮さがあってうらやましい、と。
そんなことを言われたのは初めてで(またか)、なんとなく、じんわり、うれしくなった。

たしかにこの歳になってもずっと、初めて、は多い。
それに、また新しい「初めて」に出会うたびに、全力でどきどきしたりわくわくしたりダメージを受けたりうれしくて泣いたり悲しくて泣いたりしている。新鮮でなくなっていくのは、あとどれくらいだろうか。
そう思うと、若いというのも悪くないという気がする。

 

そう。
最初の記事に書いた山田ズーニーの本、『おとなの進路教室』で、わたしの中に一番印象に残った言葉は、「立脚点」だ。

若くて経験が浅いこと、お金がないこと、勉強している最中だということ。
どれも、わたしは恥ずかしいと感じていた。ずっと。
社会人や先生方と比べたわたしのこの「立脚点」に対するこの恥ずかしさがどうしても拭えず、苦しかった。自分がいたい場所にいても、なんとなくいつも気後れしていた。

彼女は、「立脚点」という章を、こう書き始めている。

 

 このところ、「立脚点」という言葉が頭から離れない。
 たしかに、「どこへ行きたいか」というゴールが明確な人間、そこに行くための才能や技術のある人間は、華やかな成果をあげて素晴らしい。

 でも、それ以上に、「自分はどこに立っているか」を知っている人間は強い。

 

きっと、繊細で鋭い目を持って人を見ているからわかるのだ。謙虚さ、とか、その人の性質を超えて、もっと奥の、心意気、みたいなことだと思う。彼女は、素人としてドキュメンタリー映画を作った彼女の友人の例を出して、こう書いている。

 

 自分が立っているところがわかれば、新人でも、情報発信はできるし、伝わるんだということ。一生のうちで、新人のときほど、立ち位置が明解なときはないのではないか、それを知れば、旧人にまねのできない、受け取る人に染み入るような表現ができるのではないかということ。 

 

新人のときほど、立ち位置が明解なときはない。その通りだと思う。その言葉の説得力とともに、勇気が湧いてくる。院生として学会発表が続くわたしにはこの言葉は大きく響いた。勉強中だから、わからないと言える。勉強中だから、先生に聞ける。教えを乞うことができる。教えてもらえる。
そして、まっさらな感性で作品を読み、こう感じたんだ、こう思ったんだと、拙い言葉でも書けば、話せば、それは何かしらのエネルギーを孕む。
立ち位置がわかっていれば、謙虚さは消えない。だって、自分以外のだれもを尊敬できるはずだから。どんなに年を重ねたって、わたしのような若者に必ず丁寧な言葉で接してくれる人というのはそういう人たちだ。「尊敬」のまなざしは、言葉にせずとも相手にかならず伝わる。もちろん、その逆も。

わたしが先生を大好きな理由は、そこだ。わたしの若さと新鮮さと感性をしっかり見つめて、それを、対等な立場で尊重してくれる。彼女は、ほかのだれよりも、人に対して「真摯」なのだ。だから、だれよりも尊敬しているし、大好きだ。

そして、山田ズーニーも間違いなくそういう人だと思う。だってこんな文章を書くんだもの。

いま、私が魅力を感じる人は、お金とか、地位とか、権威とか、自分にはりつける強いアイテムを何ひとつ持たず。「自分はこれからだ」ともがいている人たちだ。
 弱いからこそ、ひらいている。そういうむき出しの表現は、やっぱり強い。人を引きつける。

そしてそのすこしあとに、こう想いを帰す。

より強いアイテムで身を固めようとするとき、寂しいのかもしれない。その寂しさを満たすのは、そんな大きくたくさんのものでなく、たった一人、自分を理解してほしい人と、心から通じ合う時間かもしれない。 

弱さも強さも理由がある。環境、状況、価値観、感情、そういうところから、表に出てきた行動があり、その結果がある。いまあるその人の姿から、その内側を、奥の奥の奥を「想像」すること。その「真摯さ」が、わたしはとても好きだ。「寂しさ」というワードをすくい上げていることも。

こんなふうに、すこし先輩となった彼女が、等身大の、自分の立っている場所から、かつての自分と同じようにぐらつく若者に、だれかに、後輩にむけて言葉を紡ぐ。そのエネルギーに押された、「立脚点」という言葉が、またわたしの頭から離れない。

恥ずかしく思う必要がないこと。

若くたって、勉強中だったって、そういう自分であるが故の、「初めて」がある日常が、新鮮で、幸せだ。

 

「初めて」だから、帰りの新幹線のなかで、こんなに幸せな気持ちになれるんだもの。

 

 

***

 

 

俳句のおもしろさを最近知った。

 

きっかけは、最近よくテレビに出ている、俳人「夏井いつき」を知ってから。
彼女の魅力に、ぐいっとひっぱられた。彼女が語る歳時記に詰まっている、感性の豊かさ。日本人でよかったと思う。言葉の持つ力をあらためて知った。
人が紡いできた言葉は、人の五感と、人の体温とつながっている。そう思う。

 

この間ある番組で、彼女が、最愛の夫が病に倒れたときのことを話していたとき、こう言っていた。


「俳句をつくることを、わたしの祈りにしよう、と思った」

 

「俳句をつくることを、」まで聞いた時点では想像もつかなかった、「祈り」という言葉に、わたしは心底びっくりしてしまった。

なんという、温度のある、体温のある言葉を使う人だろう。
日本語を極めに極めた人であることはわかりつつも、単にそれだけはない、やさしくやわらかい、内側の熱をすくい上げるのが、ああ、何とうまいこと。

 

 

文学は何の役に立つのか、と、よく問われる。

わたしも、文学のおもしろさに惹かれるようになったのと同時に、その問いを考えざるをえなくなった。ぼんやりしている考えのみで、はっきりとした答えはまだ出ない。

影響も、効果も、力も、数字では測定できない。無数の命を救う医療なんかと比べたら、と思ったこともある。
それでも思ってしまう。病気が治ったらうれしいけれど、はたして長く生きることが無条件にいいことだと言えるのか。それが人間にとっての幸せなのか。わたしたちの言う「幸せ」って何なのか。経済がもたらす「豊かさ」って何なのか。

価値観も性質もまるで違う生き物が生きているこの世界を見るのに、科学の目や、天文学の目や、医学の目、植物学の目、物理学の目、芸術の目が、必要だ。そして、言葉という側面から、言葉を使って切り込んでいく、文学の目だって、必要なのだ。そこには、この世界で生きていた、または生きている人間の感情を、思考を記録してきた書物が必要なのだ。そしてそれを読み、大事なことを「ひろい上げる」人が。


過去に生きた人やいまを生きる人の手で書かれたものを、そのなかの一つひとつの言葉をこうしてひたすらに読み味わっていると、書き手の、だれかに伝えたいというシンプルな想いだけではない、もっとスケールの大きい、世界そのものに向けた「祈り」や、その人のなかの、内側に向けた「祈り」のような、とてつもない精神のエネルギーを、感じる。

わたしがこの文章を、だれに向けるのでもなく書き続けてしまうのだって、「祈り」に近い。

 

言葉は強い。

言葉は強いから、周囲のものをひっぱってしまうこともある。

そんでも、そこにはなんらかの、「祈り」に似たエネルギーがあって、それが、役に立つ、役に立たない、というレベルを超えて、この世界で生きる人のあいだにただよい、いくつもの生を潤わすことがあると思う。

そういう、目に見えないものを、数字で測れないものを、見られる人が好きだ、と、思う。

言葉の奥にあるものを、「想像」できる人が好きだ、と思う。

そして、そういうものの価値を、わたしの好きな人たちのように、伝えられる人になりたい。
わたしがいま立っている場所から、言葉を書き続けたい。
それを、わたしの祈りにしたい。

 

 

ずっと、この身体で生きている。

 

 

ちいちゃな人たち


先日、神宮外苑前で火災があった。
ほんとうにつらい。ほんとうにひどい、と思う。
あの痛みがしばらく消えていない。ずーんと重いものが、ずっと、胃のあたりに横たわっている感じがする。

 

先日、すぎなみフェスタで一日お手伝いをしたとき、ちいちゃな子どもたちと直に接した。
楽しかったけど、それ以上に、こわかった。
すごくこわかった。

 

簡単な楽器を作ろうという企画。カプセルでマラカスのようなものを作ったり、絵を描いた厚紙に鈴をつけたり。

 

わたしはずっと笛を吹いていたのでほとんど中は見ていなかったけれど、唯一、直接いっしょにやったのは、1歳7ヶ月の女の子だった。
もう、ほにゃほにゃの赤ちゃん。
いすにちょこんと乗っているちいさな身体はふにゃふにゃで、手の大きさはわたしの半分もなくて、でも、澄んだ目はしっかり開いてわたしの顔を見つめ、厚紙にシールをやっと一枚貼っては、毎回どや顔で渡してくる。すこしやったら飽きてヨーヨーをさわっていたけれど、自分の楽器が知らないうちにできあがって首にかけられると、お腹のあたりにぶら下がる、カラフルな音が鳴る物体をまじまじと眺めては、さわって、にぎって、振ったりしていた。

 

その子だけでなく、わたしはその日、あのブースに来た子たちが、ハサミでケガしないかとか、モールを目にさしちゃわないかとか、椅子からおっこちないかとか、鈴食べちゃわないかとか、実は、気が気じゃなかった。笛を吹きつつ、ずっとそわそわしていた。

 

子どもはいろんなことをする。
なにも考えずに好奇心だけで数十万のフルートのキーを力いっぱいねじ曲げようとしたりもする。

そういう生き物だから、そういう生き物だから、
おもしろくて、楽しくて、そして、おとなの数百倍、気をつけなきゃいけない。


あの事故は子どもとかのレベルではない話で、悪質な危機管理とずさんさと驕りの積み重ねによって導かれたものだけれど、あの日にこれでもかと目をきらきらさせて遊ぶ子どもたちと直に触れたあと、あの、5歳の男の子の奥にあるわくわくした気持ちが痛いほどわかってしまう。
光を見つめるきらきらした目が、ありありと浮かぶのだ。


耐えきれないほどつらい。たぶん、もうすこし時間がかかる。

いや、このことを思い出すと一生悲しむと思う。
そうあらなきゃいけないと思う。
ずっと消化はできないまま、残っている、そういうものだと思う。
ちはやぶる子どもたちを、あのエネルギーを、おとなが奪ってしまうことは、どれほど罪なことなのか、どれほど悲しいことなのか、わたしはそれを言葉にするまで、まだ時間がかかる。

 

笛に息を吹き込むと、遠くまで届く音に、ちびっこたちは目をきらきらさせて寄ってきた。一人ひとりのどきどきした表情に囲まれて、わたしも、どきどきした。
ちびっこは適当にぴろぴろ笛を吹いているわたしをすっかり囲んでしまい、わたしの笛に合わせて歌った。
あ、トトロだ!とか、アリエル!とか、「生」の反応を返してくれる彼らの身体はものすんごくちいちゃくて、わたしが目一杯しゃがんでやっと同じ目線になれるくらいだった。

かわいいとか、純粋とか、そういう言葉でも、その「生きている」感が伝わらないと思うくらいに、やっぱり全力の「生」だった。


子ども、気になる。あの存在にたまらなく心を惹かれる。
まだそれが、どうしてかわからない。

そのことと、わたしが研究において子どもの本にフォーカスすることが直接繋がっているのはたしかだ。
ただ、現実の子どもと本のなかの子どもとは、当然異なる。むしろ児童文学であれば、書き手の視点は子どもの内面に入り込むから、より自分の共感とか、過去の記憶に繋がりやすい。

ああ、たしかにあの頃はそうだったなあ、とか。

わくわくする気持ちから、さびしい気持ちから、かなしい気持ちから、なんでもかんでも思い出してしまう。正直に言うと、研究対象にはいつも、心が動いてしまってしようがない。登場人物の感情に、作者の想いに、何度も涙でページや画面が見えなくなりながら、読んだり書いたりしている。

 

子どもという存在自体に、深いところで「共感」しているのかもしれない。もしかしたら。

今度の指導教授は、その、惹かれる部分も惹かれ方も深く理解してくれる方だから、少し安心して、勉強は怠らず、思いっきり感じながら、読んで書いて、をしたいと思う。

 

りんりん鳴る物体を手にした、ほにゃほにゃの彼女は、数歩、むこうによちよち歩いて、振り返り、またこっちへ歩いてきた。それはそれはおぼつかない足どりで、いまにも転ぶのではと一秒ごとにひやひやしたけれど、無事にわたしのすこし前にたどりつくと、同じ目線の大きな人に、あのちいさな手を伸ばした。

わたしも手を伸ばすと、ふにゃっとした、でも、たしかに体温のある、彼女の手が、わたしの手のひらの真ん中に、ぽちょんと当たった。

 

 

 

***

 

 


わたしが卒論や修論で扱った児童文学の作家たちは、子どもに対して何か、特殊な感覚を持っているように思う。

子どもの内面を克明に描写することは、そんなに容易いことじゃない。


ひとつの共通するキーワードは、
「子どもへの信頼と尊敬」だと思う。


信じている。小さいあの人たちが、見えないものを見る力があるということ。まるっと信じる力があること。あらゆることを敏感に感じ取る力があること。そして、彼らを尊敬している。

相手がどんな存在でも、対等に向き合うこと。

一瞬一瞬を全力で楽しむこと。

光や色のまぶしさに、強く、惹きつけられること。

それは、決して他に変えられない、そして、決してとどめておくことのできない、儚い子どもの力だ。

 

 


ずっと、スカートの裾をまた土で汚すくらいに、ちゃんとしゃがんでおきたい。土のにおいを忘れないように。


きっと、研究はできない。

この気持ちを忘れたら。 

 

あの体温を、忘れたら。

 

 

 

ずっと、この身体で生きている。

 

 

ふてぶてしく、軽やかに。

 

いろんな人に会うたびに「痩せたね~!」と、あまりに毎回言われるので、たぶん、やつれたんじゃないかなと思っている日々。 

 

ほんでも、世界がぐるっとする出来事があり、自分の状況がまるっと変わった。

ここ数日の外から見たわたしはたぶん、痩せた、いややつれたにプラスして、だいぶ違う人になっているんじゃないかな、と、想像。

 

 

わたしはとても、人に気を遣わせてしまっていたみたいだ。
たぶん、自分が気を遣っていたからだ。無意識な我慢。でもそれもあるきっかけで終わった。
というか、2016年に入った頃からそうなっていただけだった。
明らかにそうわかる。

 

期待に応えようと無理し、それが限界になり、余裕がずっとなくて、孤独におびえて、おまけにだれかをまるっと信じられなくなって、 がれきの前で立ちすくんだ。

そのすべてが「報われた」と思えるような出来事が、数日前にあった。

 

11月1日の15時すぎ。

やっと、生きていてよかったんだと思えた。

 

お世話になっている児童文学の先生に背中を押され、
大好きな大学院生の先輩に紹介してもらい、
一橋の大学院にいらっしゃる先生に、会いに行った。

結論は、彼のところで研究させてもらうことになった。

もちろん院試があるので完全に確定ではないけれど、絶対に受かろうと思っているのでもう確定と言っていいと思う。

それくらい、世界が、人生がぐるっと一回転するような、出会いだった。

 

 

***

 

 

この人と離れたくないなあ、と、思う人がいる。
この人じゃなきゃだめだ、と、思う人がいる。

想いが強すぎて、つらくなるくらいに。

 

同時に、もう、結婚とか、恋愛とか、べつに、しなくていいなと思っている。
もちろん、それらの魅力は十分わかるし、そこから人は、あまりに多くのものを学ぶことができる。
特定のひとり、と、とことん向き合うこと。ぶつかって許しあって、この先ずっと手をつないで生きていけるかを考える。あんなに深い人間関係をつくるのは、なかなか難しいと思う。
けれど、恋愛や結婚を含めた人間関係は、もっともっとスケールの大きいものだと思う。自分を承認し、求めてくれる存在がいることは素敵だ。無条件に人に、幸福感と自信を与える。生きていく上で、自分にないところを補い合う存在がいるのも素敵だとは思う。
長女であるが故(これはもう絶対!)の「甘え慣れてなさ」と「認められたさ」と「甘えられる存在と認めてくれる存在の中毒性」を知っていながら、いまたしかに思う。

わたしはもっと、もっとたしかな関係を、知っている、と。

恋愛や結婚みたいなことは、この世界に起こるいろいろな事象のなかで、ものすごくちっぽけなものだ、と。まあ、当たり前なことではあるけれど。そこに執着などしてしまったら、自分の生きる世界を狭めてしまう。
もちろんそういったことに価値を求めることも素敵だと思う。深い場所に見つけられる輝きはあるから。

それを分かった上でいま、この人と離れたくないなあ、この人じゃなきゃだめだなあと、思う人を、自分のもとにひとりじめしたら、わたしはすごくもったいない気がするのだ。
素敵なことかもしれないけど、なんかちょっと違うと、そう思うのだ。

 

わたしは身近な人に、どうしても想いを共有したいと思ってしまう人間らしい。
その共感が、深い場所なら嬉しいけれど、どんなことでも、だれかに伝えたくてしようがないのは、身の回りで起こることが、あまりに、too muchだからだと思う。

循環させたいのかもしれない。
いろんな循環の中で生きている感覚があるから。

ひょっとしたら、だれか特定の近くの人を決めてしまったら、その循環が、滞ってしまうかもしれない。そんな感じが、しなくもない。

 

好きだと思う人と、時間を過ごしたい。

よかった、気持ちはちゃんと動いている。やっと動き出した。

 

恋愛に限らず、好きな人のことを考えると、びっくりするほど、心が澄んでしまうのだと知った。

そういう人に出会えるから、生きていることには、希望がある、と思う。

 

 

BUMP OF CHICKENの、藤原基央、藤くんが書く歌詞が好きなのは、曲が「恋愛もの」ではないからだ。

もちろん恋愛とも読んでもいい。そう聴いてもいいけれど、彼の詩は、そんな陳腐な狭い場所に留まるものではない。もっともっと本質的な、おそろしいほど深い場所の、話をしている。

 

終わりまであなたといたい
それ以外確かな思いが無い
ここでしか息が出来ない
何と引き換えても 守り抜かなきゃ
架かる虹の麓にいこう
いつかきっと 他に誰も いない場所へ

 

「ゼロ」の歌詞。暗めの曲調から、このサビで、光を求めるような旋律へと変わる。

まわりに誰かがいる今だけど、いつか命が尽きて、まわりに誰もいなくなる日が、たしかに来る。
わたしは、その意識がずっと抜けない。その意識と、人の奥の奥を知りたい、つながりたいという想いは、表と裏のように在る。

 

怖かったら叫んで欲しい
すぐ隣にいるんだと 知らせて欲しい
震えた体で抱き合って 一人じゃないんだと 教えて欲しい
あの日のように 笑えなくていい
だって ずっとその体で生きてきたんでしょう


わたしは、この距離感で、人を知りたい。
自分とちがう、でも、自分に似た、ひとつの命を、無数の命を、体温を知りたい。
数十年後、この命が尽きるまで。

 

 

 ***

 


先日、ある懇親会にて、今まで悶々としていた自分の話、悩みを聴いてもらった。

いつもは主催者側だから、参加者が一番楽しい状態でいられるようにしなきゃいけない、みんなの話を聴かなきゃいけない、そういう意識で臨んでいた。それは当たり前のことだし必要だと思うけれど、かなり「我慢」をしていたことに今更気が付いた。

初めてと言っていいくらい、あの飲み会の場で、自分の話をした。聴いてもらう必要があった。頑張って笑う余裕がなかった。

聴いてもらっているとき、ありがたいなと思うと同時に、こんな自分の話を聴いてもらってしまっている、それで時間を奪ってしまっている、その申し訳なさに押しつぶされそうになっていた。それはそれは辛かった。聴いてもらってうれしいのに辛い。その矛盾する感情はたしかに同時に存在しうるのだ。

そんななかかけてもらった言葉に、まるっと救われた。

「過去の自分を否定しちゃいけない。」

そうか、当たり前のことだけれど、そういう方向に行きかけていた。危ない危ない!
だれに何と言われようが、今までのわたしの25年間は否定しちゃいけない、否定できない、それにはこれっぽっちの真実味もない。

まっとうに、まっすぐに、ちゃんと生きてきたのだから。

そして、そのあとほかのみんなの話を聴いた。
思ったよりみんな、ゆらゆらしていた。ちゃんと、悩んでいた。悩んでいるよって、弱いよって、そういうところ、ちゃんと、共有したいと思った。共有できて、うれしかった。

 

ずっと、不完全であることを承認できないわたしだった。
頼れないこと、助けてが言えないこと、我慢すること、全部そこにつながっている気がする。
それをわかっているように、文章を送ってくれた人がいた。
自分だけでひとりじめしたくないから、ほかにも個人的に送り付けている人はいるけれど、ここに載せる。

 

www.webchikuma.jp

 

こんなにやわらかい文章にしてもらうと、すっと入ってきてしまう。


いつだって、言葉をもらうのは、ありがたいことだ、だからちゃんと全部受け取って、吸収して、よりよく実践していかなければ、と思っている自分がいた。たしかに無意識に、とても「いい子ちゃん」な方へ、方向づけている。おまけに欲張りだ。そしてどこまでも我慢する。本当は、困ってしまって、どうしようもなくっても。

 

不完全さを承認して、肯定して、努力していくこと。
いや、努力なんて、したければすればいいのだ。
前向きに努力しなきゃいけない、と、どうしても方向づけたい、わたしの無意識のなかにある強迫観念は、もうそろそろ引き下がっていただきたい。不完全さを承認するのを邪魔しているのは、わたしのなかの完璧主義や「いい子ちゃん」や、評価へのこだわり、だ。

「ふてぶてしく」とか、「居直る」とか、わたしの人生に無縁と言っていいような言葉が、ちゃんと胸を叩いてくる。 高校時代にしてくれた話の雰囲気と同じだ。絶妙なセンスの言葉が、ぐいっと中身に引き込む。

 

 

かの千葉雅也がみずから認めているのだから、

わたしも不完全でいいのだ。

 

とどめの一撃、だけれども、とん、と背中を押すようなやさしさが、体温がある文章だった。
そんで、送ってくれた人はさりげなく、いつもそういうことをする。

 

 

***

 

 

悪とされるものが、悪のように感じられるものが、どうしてそう見えるのか、どうしてそう捉えられるのか、その奥にあるものをちゃんと見つけたい。自分の手でつかみたい。そう思ってきた。


単純にそうすると、怒るとか、いらいらするとか、そういう気持ちがなくなってくる。たぶんわたしはそうやって生きてきたから、怒る、みたいなことと距離がある人生を送ってきた。
でも、あながちずれてはいないと思う。なぜなら、そういう目を、精神を養うことが、学問をするということの延長にあると思うから。

だから、ああ、この人はどうしてこんな風になってしまったんだろうか、と、その人の背景まで捉えて理解する。たいていの場合、理解できる。
まあでもその前に、気持ちで全力で受け止めるがために、ほとんどの場合、すぐ混乱して、ダメージを受ける。ほかの人にとっては些細なことでも、気にしないということが、自分でもびっくりするほど難しい。冷静になって、時間が経てば、ようやく考えられるようになる。心から頭へ。頭から心へ。その時間が短くなることが、おとなになるということ、なのかもしれないと思う。でもそれは同時に、「感じる」という鋭敏さが欠如していくことだとも思う。だから、まあ、いいや、これがわたしだ、ダメージを受けようではないか!と、思う。かかってこい!と。

 

でも、本当に危ないと思うから、洗脳だけはされないように気をつけたい。

そう、セーフティネット
危険な人からは離れ、守ってくれる人からは離れないように。

 

わたしは、わたしを傷つけ、けなし、粗末に扱う人から、わたしを守らなければならない。

あなたは、あなたを傷つけ、けなし、粗末に扱う人から、あなたを守らなければならない。

悲しきかな、この世界にそういう人はいる。
そしてきっとこれからも、そういう人に出会うだろう。
わたしは、流された涙に寄り添って、その涙が来た場所をまっすぐ見つめたい。守りたい、と、思う。


この間先生に、あなたは人を見る目がないと言われたけれど、それは無条件にみんなをいい人だとほんとうに信じているからだ。
それは、一見よいことのように思えるけれど、全然よくない、自分を大切にすることの、逆なのだ。

わたしは、わたしを本当の意味で大切にしてくれている人を、ちゃんと見極めなければいけない。この人と一緒にいたいと、わたしがほんとうに思うのかどうか、立ち止まって考えなければいけない。我慢をしてはいけない。いつか、自分が壊れるから。

それが、自分を大切にする、ということなのだ。
それが、自分を守る、ということなのだ。

 

だれかにコントロールされてはいけない。
だれかをコントロールしようとしてはいけない。
わたしの可能性を摘み取るようなことは、だれからも、されてはならない。
だれかに否定されても、わたしはわたしを、否定してはならない。

承認、というのはきっと、人が生きるために最低限、しなければならないことだ。
自分が、自分を、承認すること。

 

わたしは、その一橋の先生と出会って、今まで考えてきたこと、やってきたこと、全部が間違ってなかったんだと、やっと思えるようになった。
わたしの研究が面白いと、必要だと言ってくれる人がちゃんといた。
人類に貢献できる、とまで。


人生が変わるとはこのことだ。

部屋を出て、いま何が起こったんだ?と考えて、整理できたとき、実感できたとき、出てきた言葉は、

「ああ、ありがとう、神さま」

という言葉だった。


単純につらかった。ファンタジーなんかやって、と言われてきて。英文学の枠では肩身が狭すぎた。


でもいま、その枠を超えられた。

 

 

そうだ。必要なときに必要な人に。ちゃんと辿り着ける。
それも、用意されているように。

さとみは神さまに守られてるから大丈夫なんだわあ、と、友達は言った。


先生に出会えた。道が開けた。

 

 

どうしてこんなに、飛び跳ねたいほど、救われた気持ちなのか、と考える。


たった一人、一橋の先生が、わたしの研究を面白い!と言う。そのことは、決して大袈裟ではなく、今までわたしが過ごしてきたすべての時間をまるごと肯定した。
こんなにも肯定する力があると思わなかった。思いがけないことだった。自分にぴったりの先生に出会えたことの単純な喜びではなかった。それ以上の、わたしは間違ってなかったんだ、よかったんだ、という過去への肯定と、これからやりたいことを捻じ曲げることなく続けていいんだ、続けられる場所があるんだという、未来への安心を、一度に受け取った。11月1日から時間が経つほどその気持ちはじんわりと染み込んできて、わたしはやっと、ちゃんと、わたしを好きになった。

今まで考えてはきたけれど、なかなか共有できなかったものを、もう一人、ちゃんと深い場所で共感してくれる人がいた。言葉になるのを助けてくれる人がいた。言葉になったらもっともっと、共有できる人が増えるかもしれない。いつか素敵な物語が描けるかもしれない。人類に貢献できる、という言葉をもらった。一人で悶々としていた状態からの、この広がり方は、とてつもなく、大きい。


自信には、いつでもちゃんと、根拠がある。
自分を承認できなくなるのには、理由がある。
わたしがわたしを好きでいる、そのために必要なものは、わたしがちゃんと揃えてあげなきゃいけない。
わたしがわたしを大切にする、そのことがいかに必要か、そのために何が必要か、もがいて苦しんで、ちゃんと「解る」こと。
いつか、報われることが、あること。

 

 

 

高校時代に出会ったわたしの一番好きな(好きだけじゃ済まない)作家、梨木香歩の、これまた一番好きなエッセイ、『春になったら莓を摘みに』のなかで、何度も思い出す箇所がある。

こういうことを、ずっと思って生きている。

 

そうだ

共感してもらいたい

つながっていたい

分かり合いたい

うちとけたい

納得したい

私たちは

本当は

みな

 

  

手の鳴る方へ。導かれてきた。

この、梨木香歩という人をはじまりにして。

網目状の模様をひとつひとつたどっていくように、人との縁を紡いできた。

 

今気づいたけれど、最初の記事からちょうど一カ月経った。

 

いままで以上にまわりの人のご縁に感謝しつつ、かといって申し訳なく感じることなく、「必要な人に、必要なときに」たどり着けるわたしを、そろそろ、褒めてあげたい。

 

ちょうど梨木香歩に出会うすこし前と同じくらいまで軽くなった身体は、

ずっと動きやすいし、ずっと、飛び跳ねやすい。

 

 

 

 

ずっと、この身体で生きている。

 

 

 

Let me raise you up!

 

すこし時間が経ち、肩の力が抜け、勉強をしたり動いたりがあまり苦でなくなってきた。

色々な理由があるけれど、日々、様々なものを目にしながら、感情と向き合い、思考を巡らす。書くことが追いつかないほどに。それでも書かずにいられない。この作業で、カオスな自分の何パーセントかだけでも、わかりたいと思っている。

ただ、以前のように身体が頑丈にエネルギッシュにぱきぱきと動いてくれない。


そんなに予定を入れられないなあ、もう若くないなあ、と思う。

だから、「選ぶ」ことがものすごく大事なんだなあ、と。

たとえそのひとつの行動が、ものすごくこわくても。

 

 

***

 

 

わたしにとって、英語は音楽だ。


耳に入る音の心地よさ。

日本語にはない発音の美しさ、艶めき、潤い、柔らかさ、爽やかさ。
それにすっかり魅了されてしまっている、という感じがする。

ちいちゃい頃から英語の歌が好きだった。幼児向けの英語のCDやカセットをシャワーのように浴びていた気がする。自分の言葉と異なるリズムを持つその音に、たまらなく胸が躍った。だから、ちいちゃいわたしは絶え間なく歌い続けていた記憶が残っている。
そしてそれは、今でも変わらない。

好きな曲はあるけれど、基本的にどんな洋楽でも、特に英語の発音がクリアに聞こえるものは、胸の奥がたまらなく、きゅん、とする。

だから、わたしの英語好きはたぶん、ただ、異常に音に反応しているこのときめきからくるのだ。読み書きよりも、聴いたり話したりが断然好きだ。英文なのにこんなこと言うと、怒られそうだけれど。

もちろん、英語で表現された作品を、英語という言語そのものを勉強していくなかで知った魅了も、計り知れない。高校英語では文法や構文を深く読み込み、分析し、パズルのように言葉を読み解いていく面白さを知ったし、大学では英語で書かれた文献の多さ、というより、そもそも日本語で書かれたものが、世界中の情報のほんの一部であることを知った。違った世界の、違った思考や視点を持つ人たちの描く物語の世界にも魅せられた。

それでも、英語の「音」そのものに対する、理由のないときめきは、ずっと変わらないものだ。楽器の「音」へのときめきと、さほど変わらない。豊かな笛の音を出すことと、美しいと感じる英語を発音すること。そしてそれにメロディがのれば、もう最高。心の底からうっとりとしてしまう。

言葉と旋律、メロディ。 

一見、まったくちがうように見えるこれらのなかにある、「音」という要素。それが、いまだに胸をつかんで離さない。

 

中学で吹奏楽部に入学したのも、きっとそのせいだ。
入学式で聴いた「生」の楽器の音に一瞬で魅せられ、気づいたときには入部していた。
全国に行くような部だとは知らなかった。船に乗ってしまったわたしは、毎日朝から夜まで夢中になって練習し、指揮棒で叩かれ殴られながら必死で音を奏で、普門館の舞台に立った。
ストレスで体調を崩して倒れたりもしたため、その時代の話をすると父親は顧問の先生の暴挙を思い出して機嫌が悪くなる。それでもわたしは、音に本気で向き合ったあの三年間はわたしにとってものすごく大事な土台だったと思っている。今でもあの合奏を夢に見て、冷や汗で目覚めることがあるにもかかわらず。

 

というわけで、わたしにとって、音楽はどうしても身体に染みついているものだ。

そして、英語は音楽だ。

 

なぜこの話を書いているかというと、カナダから来ている女の子と友達になり、それこそ「生」の英語に触れたからだ。先日会って、意気投合し、カフェで何時間も話し込んだ。そこからカラオケに行かない?と言われ、一緒に歌いまくったのが、単純に、楽しくて幸せな時間だった。

わたしは今まで、英語を母語とする友達がいなかった。

英文とはいえ、大学には留学生はいないし、日常で話すのは教授たちだけ。学部の頃に英会話の練習で通った一番安い国際交流パーティーでも、危険な目には何度も合っても、仲良く遊べる「友達」はできず、結局行かなくなった。日本語を教えている生徒にも、授業では当然ながら、必要なとき以外は日本語で話している。

だから、英文なのに、ネイティヴの先生の授業以外で、英語を練習する場がほどんどなかった。院に入ったら、ネイティヴの先生と学校ですれ違うときくらいしか使えない。ただ、彼らは「おとな」の「先生」だ。いちいち細かい間違いをしてやいないだろうかと気にしなくてよい、普段のごく簡単なおしゃべりができるような、「対等な友達」がいないのだ。

語学留学したって、世界中に「第二言語が英語」の友達はできても、ネイティヴと触れ合う機会はホストマザーや先生、店員くらいしかない。

英語という言葉を勉強しているのに!ああ切ない。(一応ここにはわたしが貧乏学生であるという前提があります。お金を払えばもっと機会はあるはず。)

そんななか、先日主催していた地域のイベントで、なんと日本語を勉強中の彼女・フロム・キャナダと出会った。その場で軽く通訳をし、対話のお手伝いをしたのがきっかけで、会うことになり、研究や将来の話をした。

わたし自身、最後にイギリスに行ったのから一年ほど経っていたのもあるだろう。まず英語が話せるのが楽しすぎるし、彼女の話すCanadian英語の発音の美しさに胸はときめくし、しかも予想以上に気が合って、今考えていることや感じることを共有できたのが、嬉しかった。

つまり彼女は、英語の美しさやそれに対するときめきの感覚を思い出させてくれた。

しかもそれが、お茶してお話したこと、くらいじゃなく、大好きな英語の歌を好きなだけ、しかもいっしょに歌いまくる、ということから。

 

ひょんなことで話題に出たTop of the worldは、小6のときにサンタさんがくれたアルバムに入ってリピートし続けた曲。わたしが生まれて初めて歌えるようになった(幼児用じゃない)英語の歌だ。彼女の"Everyone knows"という言葉からも、英語圏での(日本でも、だが)この曲の定番さが分かる。

彼女の歌ったBad dayは中2のときの英語の授業で歌った。いきなり流れたイントロにびっくりして泣きそうになった。大好きな歌だ。

そして、Part of your worldは、同じく中学のとき、You Tubeが使えるようになった頃、歌詞を調べてノートに書き、ひたすら何度も歌って練習した。家でよく歌うのに、彼女と二人で歌ったのがとても嬉しくて最高に気持ちよかった。

同じくディズニー好きな彼女が選んだのは、私が最近一番はまっているReflection(ムーラン)とLet It Go(アナ雪)だった。

 

そして、わたしの一番すきなBUMP OF CHICKENの「天体観測」を、彼女はもともとカナダでの学生時代から知っていた。まさか、この曲をいっしょに歌うという状況になろうとは!

 

どの曲も。

 

どの曲も、だ。

ふたりで楽しく歌いつつ、自分の唇と声がなぞる歌詞が異常なほど身体に染み込んできて、何度も泣きそうになった。

 びっくりするほどに、どんぴしゃだった。

 

Reflectionの歌詞を、ここに載せておきたい。

翻訳はわたし。

 

Look at me
You may think you see
Who I really am
But you'll never know me
Every day
It's as if I play a part
わたしを見て
あなたは思うかもしれない
本当のわたしを見てるって
でもあなたは知ってなんかいない
わたしは毎日
役を演じてるようなもの

 

Now I see
If I wear a mask
I can fool the world
But I cannot fool my heart
わかったの
仮面を被れば
みんなを騙せる
けれど自分の心はごまかせない

 

Who is that girl I see
Staring straight back at me?
When will my reflection show
Who I am inside?
目の前の少女はだれ?
まっすぐと見つめ返す
いつになったらわたしの姿を映すの
本当のわたしを

 

I am now
In a world where I
Have to hide my heart
And what I believe in
But somehow
I will show the world
What's inside my heart
And be loved for who I am
わたしのいる世界は
自分の心を
自分が信じることを
隠さなきゃいけない
でもすこしだけ
さらけ出してみたい
わたしの胸の内を
わたしのままで愛されるために

 

There's a heart that must be
Free to fly
That burns with a need to know
The reason why

この心は絶対に
自由に飛び立つの
熱く燃えてゆくわ  教えて
その理由を

 

Why must we all conceal
What we think, how we feel?
Must there be a secret me
I'm forced to hide?
I won't pretend that I'm
Someone else for all time
When will my reflection show
Who I am inside?
When will my reflection show
Who I am inside?
なぜ隠さなければならないの
考えること、感じること
わたしの秘密を
隠し続けなければならないの?
この先ずっと
誰かを演じるなんていや
いつになったらわたしの姿を映すの
本当のわたしを

 

 

あまりに不思議な日だったから、その日はなかなかどきどきが収まらなかった。長くいっしょにいたから久々に脳内が英語で、とっさに出てきそうになるのは英語、そこから日本語を探すという状態で、数日を過ごした。この感覚がフェードアウトしていく寂しさ、虚しさったらない。保ちたいけど、難しい。


しばらくなかったときめきを思い出させてくれた彼女には、本当に感謝している。

そして、あの場に彼女を連れてきてくれた方にも。

不思議なことに、最初の記事にメッセージをくれた方だったということに、さっき気づいた。

ね、なんか、繋がっている。

 

そうやって、わたしたちは、なにかの循環を持っている。

わたしたちの、続いた悪循環が、ふとしたきっかけで、いい循環になる。それも、風に吹かれて転がっていく木の葉のように。ころころっと、あらゆる方向に自然に舞いながら、まわり、巡っていく。

 

生きていると、どうしてこんな辛い世界で、どうしてこんなわたしで生きていかなきゃいけないんだと思うときもある。

人という生き物は、どうしようもなく、不安定だ。

この世界が悲しくて悲しくてしょうがなくて、何もかもがわからず、投げ出して逃げ出したいときもある。

それでも、生きていると、生きていてよかったと思う瞬間がある。

ありがとう、というメッセージが目に映る瞬間、すくなくともわたしはそう思った。だからちゃんと、伝えたい。

 

 

ありがとうのめぐりを

ぬくもりの循環を

 

生きているわたしたちは、つくり出せる。

 

 

 

***

 

 

 

あれは前回の記事だったか、前々回だったか、わたしはこう書いた。

自分を大切にするにはどうすればいいか、という問いに対して、自分を大切にしてくれる人を大切にすることではないか、と思う、と。

 

 

時間が経つにつれ、変わってきた。

わたしはなんて人から見られる自分を意識しているのだろうと思った。

自分を大切になんかしていなかった。大切にしてもらえる人をさがしていた。

むこうから来たら拒まなかった、うれしいから。そこにしか自分の価値を感じる場所がなかった。内側でなく外側に、自分を見てくれるだれかを、自分自身を、さがしていた。

そういう生き方が、感覚が、染みついている。奥の奥まで。しつこく、こびり付いている。

 

たとえば、わたしは公共の場で本を読むのが苦手だ。夢中になってしまえば五感はほぼゼロまで閉ざされ、他のことが感じられなくなるけれど、その前にもっと重大な問題があるらしい。

その問題が、「他の人の目」にある、と気づいたのは、ついこの前だ。

なぜ読めない本と夢中になれる本があるのかと考えたときに、夢中になれる本にはある特徴があることがわかった。

ある程度読み進められている本だ、ということ。

つまり、だいたい全体の量の三分の一以下までしか読んでいない本は、まだそれしか読んでいないことが恥ずかしくて人前で読めないらしいのだ。

これに気づいた瞬間もそうだったが、ここで言語化して、今わたしは、背筋がぞっとした。

なんなんだこの「わたしの感覚」は。恐ろしい。

理屈としては、電車で誰かが読んでる本がまだ読み始めかどうかなど気にする人はいないということはわかっている。本を読むには初めの1ページを開く、そのプロセスの必要性があることも。

それでも。それでもだめなのだ。頭と心は違う。なぜこんなに恥ずかしく感じているか、わからない。まだこの本の内容が把握できていないことが、経験できていないことが悔しいのだろう。そういう自分の存在が許せないのだろう。

ほう。すごいことだ。ここまでこびりついた感覚があるとは、自分でも驚いたし、それ以上に、どん引きしている。

 

このようにわたしは、人の目を、いや、人の目に映る自分の在り方を、ここまで気にしているということに、やっと気づいた。

 

だから、自分を大切にする、がわからない。

だれかに見られる自分を大切にする、そのために、自分を見る「だれか」を大切にすることしかできなかった。わたしにはその答えしか出せなかった。

 

けれど、いま、ふと思ったことがある。

自分を大切にするということは、

なにかをするのではなく、なにかを、しないこと、なんじゃないか、ということ。

 

わたしたちは、なにかを「過剰に」しすぎてはいないだろうか。

この世界は、それはそれは「過剰」だ。もっとフィットする表現だと、too muchだ。

もう、too muchだ。疲弊するほどに。

 

でも、きっと、わたしたちはそんなに多くのものを大事に抱えることができない生き物だ。

大切にするのは、ひとつだけでじゅうぶんだ。

 

真ん中のひとつ、ひとつにとことん向き合うこと。何かを失っても自分のなかに保つことのできる「なにか」。これが大事なんじゃないか。それを知ること、わかること、問い続けること。きっといつか、失うことが怖くなくなる。

そんなようなことじゃないかと、感覚的に言葉を並べてみる。簡単でない。簡単でないよ、自分を大切にする、というのは。

勇気も優しさも、知恵も時間も、経験もパワーも、鈍感さも、ものを忘れる力もいるだろう。

 

そう、失っていくこと。

 

身ひとつになったとき、もしかしたらわたしたちはわたしたちを大切にできるのでは。

そんなことを思う。 

 

また考えは移っていくかもしれない。けれど、わたしはいま、そう、書いてしまう。
不可抗力、ってやつかもしれない。ちょっとの力で抗えないほどの、わたしのなかのなにか、のせいで。

 

 

***

 

 

先日、わたしの中にもういっこ、変態を見つけた。

筆跡、サインにどうしようもなくときめいてしまうこと、だ。

だってねだってね,

 


シェイクスピアディケンズなどのサインだ。
はるか昔、違う国に、しかも400年も前に生きていた人なのに、歴史上の、もう本のなかにしか存在しない人なのに、文字を見た瞬間の「生きている感」がすごい。
どきどきする。そわそわする。

たとえ数百年前であれ、今わたしが息をしている時間軸の延長線にペンを走らせていた、あるのはほんのすこしのズレだけなのだと気づかされる。

その人の、その人だけの筆跡。紙にペンを滑らせる瞬間のスピード感。筆づかいのリズム。

いま、筆づかいと打って、習字をやってきたことに関係するのだろうか、とふと思う。

書には、書く人の人格が現れる。小学校の幼馴染がそう言っていた。わたしの字が、好きだと。

なぜだかわたしは、だれかの書いた字を目にすると、その人の筆の運び方、呼吸のリズム、想い、いろんなものが自分のなかに一気に流れ込んできて、なんだかその人がたまらなく愛おしくなってしまうのだ。
よく考えたら、生徒の字に対してもわたしは、同じ感情を抱く。授業も好きだけれど、ものすごく近い距離で彼らの書く字を目にし、説明しながらそこに直しを入れたり思いっきり丸をつけてあげたり。
ああもう、なんて楽しい仕事なんだ、と思う。嘘じゃなく、わたしは毎時間、そう思っている。幸い少人数のクラスなので(生徒よ増えろ〜)一人ひとりに徹底的に向き合える。どの子もまだ小さな身体で、懸命に考えて、問題を解いていく。さらさら解いてしまう子もいれば、一問にものすごく時間がかかる子もいる。学校のノートの端っこに鉛筆のぐるぐるや落書き。好きな曲の歌詞。自分なりにその場を、その時間を生きる。我慢も覚えた。いくら楽しくても、自分勝手に友達の邪魔はしない。たまにしちゃうけど。塾の居心地が良くなって、勉強の習慣がついてきた。わかったときの目の輝き。悔しさも喜びも全身で表現。
なんなんだ、あの生きものたちは。とにかく、可愛くってしょうがない。

話が逸れた。

もう一つ、ぱっと思いつくわたしの筆跡好きの理由がある。
父の影響だ。父に数学を教わるようになったのは、中学あたりからだろうか。いや、もっと前にも教わったことはあるはず。父に勉強を教えてもらうときは、必ず白い紙とペンがある。父は説明しながら、そこに少し丸い数字を、すらすらと、整然と並べていく。今思えば子どもに算数を教えるプロなわけだから、その技術に憧れることは特別じゃない。わたしがどんな問題を質問しても、かならず、慣れた手つきで綺麗な図形や式を書き、分かりやすい説明をしてくれた。直線はすごく真っ直ぐで、円もコンパスのよう。罫線なんてないのに字と空白のバランスが美しい。常にそうだった。

そんな父のペンの動きや字をいつも見ていた。きっとそれも理由として大きい。
思えば中学で初めて好きになった子も、そうだった。中学生なのに高校の数学を鬼のように解く(父の口癖)、ずば抜けて頭のいい子だった。紙の上にすらすらと式を重ねていく姿にときめいた。いやむしろそれだけだった。我ながらそれもすごいな。怖いな。
トップ校は目指さず、近いからという理由で少し高めの高校に行くクールさもかっこよく見えた。
よく、フェチとか言うのが、今までかなり謎な概念だったけれど、これは完全に「筆跡フェチ」的なものかもしれない。気づいてしまったー。
すごい、こんなの、初めてだ。我ながら、気持ち悪い。なんかもう、変態感がすごい。今まで知らんかったけど。
でも、しょうがないよねえ。理由なくときめくものは。
ここにおっぴろげておきましょう。

たぶんわたしに手書きのものを渡すと、普通の人より長い時間じっと見ているはずです。気持ち悪かったら、その旨を伝えていただけたら幸いです。

 


***

 

 

昨晩、ある方に最高のミュージカルに誘っていただいた。

ブロードウェイミュージカル、Kinky Boots(キンキーブーツ)の来日公演だ。

前から数列目なんて、今まで、Londonでもあんな席で観られたことはなく、席に座った瞬間から泣きそうだった。結論を言うと、あれほどに号泣したミュージカルはない。

性の境のあいだで本当の自分のありかたに葛藤しながらも、夢中で力強く生きるローラの美しさ。

男性と女性のいいところを詰め込んだ、そんな区別なんて心底ばかばかしくなるような、素晴らしい歌とダンス。人間の身体とリズムが生み出す、ものすごいエネルギーとパワー。圧倒されるばかりで、鳥肌の中に爆笑と号泣が入り混じって、あの劇場全体がとても不思議な空間だった。理由なんてなかった。あの場にはプラスの空気しかなかった。

スタンディングオベーションと熱狂の拍手が、ずっと、本当に長いあいだずっと鳴り止まないことにも涙が止まらなかった。

伝わるもの、って、すごい。

あんなに溢れる力強さに心を動かされない人間はいないのだ、と思った。

 

人間は不安定だ。どうしようもなく不安定だ。
それが自分だけでないことが、いま、よくわかる。
女装をするローラの突き進む様子はかっこいい。けれど彼、いや彼女、いや彼も、葛藤がないわけではないのだ。
誰だって弱い部分を抱え、ときにはこわいことも隠し、戸惑いながらも自分自身を奮い立たせて、その足を進める。
ローラとチャーリー、そして工場の仲間たちは、弱くも力強く踏み出す、その美しい足に、とびきり美しい靴を添えていく。
"beautiful"という言葉がこんなに似合うことがあるだろうか、と思った。

 

人は弱いものだ、という、そんなあたりまえなことも、主観と客観の狭間に迷い込めば、よくわからなくなってしまう。
生きることは、非常に、疲れる。

 

どうがんばってもほどけない、このこんがらがった思考にまぶしい光を燈してくれるのは、音楽やリズムの心地よさや、その「理由のなさ」かもしれない。

 

リズムに乗って勝手に動く身体にすべて任せて、汗も涙もいっしょくたになって、踊ってしまおう、と。

人生って、そういうものかもしれない。

 

 

***

 

 

あたりまえだけれど、

 

サインを書いた彼らは、下手くそだとか、気持ち悪いだとか、言われると思っていただろうか。

そう思われると思ってサインを書いているかもしれない。

それでも、彼らの筆跡であることには変わりない。

嘘の字って、あるんだろうか。その人がその人なりに、自分の名前を書くその瞬間、どんな嘘も吹き飛んでしまうのではないか。

 

自分の「好き」を掘っていくこと、考える力、を山田ズーニーは語っていた。
こういうこと、なのかなあ、と考えている。

 

わたしは根っから人が好きだ。
だから、その中身が垣間見える、人の「字」が好きだ。

"cannot fool my heart"、なのだ。
嘘はつけない。だれかにも、自分の心にも。

 

未来に思考を繋げていくことも大事だけれど、もしかしたらそれと同じくらい、過去に繋げていくことも必要なのかもしれない。

わたしの「今」の中身をちゃんと知るために。

ひょんなタイミングで、いいめぐりを生んでいくために。

 

みんなして、不安定さと弱さと疲れとをひとつの身体に秘めながら、失敗も汗もしみるけど薬にしてぬりたくって、エネルギーを振り絞って、「共に」生きよう。

おなじリズムに乗って、芸術的に。舞うように。

 

 

 

 

ローラは最後、力強くこう歌う。

 

 

If you hit the dust,
Let me raise you up!

 

「あなたが崩れ落ちそうになったら、あたしが手を貸すわ」

 

 

 

 

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*1

 

 

ずっと、この身体で生きている。

 

 

メンテナンス中

 

只今、メンテナンス中です。

 

いい言葉。とてもしっくりくる。
必要だから止まっていますよ。そういう感じがする。

 

わたくし、只今、メンテナンスの時期に入っています。

 

わざわざ短い記事をたくさん載せることをしないのは、やっぱり、わたし自身がこの思考を並べてすこし遠くから眺めてみたいからのようです。

そんな自己中心的極まりないこの言葉に、まただれかの目が触れているということ。恥ずかしいしすみませんという気持ちになるけど、きっとこの字にたどり着いてもらったのには、何かしらの理由があるのだろうなあと思う。

今日あたり久しぶりに開いて、ページを開いているのが1000人ほど、という数字を見て、ひい!と言いました。

 

 

 ***

 

 

昨日、博士の先輩に誘っていただき、ご飯を食べながらお話をした。

 

思う存分立ち止まっていいんじゃない?
必要だから。

たぶん、またあるきたくなるから。

 

最後、電車の降り際にかけてもらったその言葉を忘れたくなくて、電車を降りてすぐ、手帳に書き込んだ。

 

誰にも言ってなかった、わたしの「先生」に対する姿勢を、始めて言語化した。できた。

自分がすごくぽんこつだから、出来の悪い子だから、先生になるべく会わないように、会っても「ああ・・・もうほんと、生きててすいません・・・」という気持ちでサササっと傍を通り過ぎていたということを。

逃げるようにして。

いつからだろうか。どうしてだろうか。

 

たぶん、自分のなかの落差に、追いつけていなかった。
「いい子ちゃん」だから。
いや、「いい子ちゃん」でいなきゃと思っていたから。

 

小さい頃から、素直なところがいいところだと、ずっと言われてきた。

親にも先生にも。それが正しかったかわからないけれど、わたしの感情の動きは、見ている人にとってはやっぱりわかりやすいらしいということが分かってきた。
でもそれは、見せてもいいと思う人にしか見せてない気がする。
素直でいていいと思える場所は、居心地がいい。そういう居場所にいつも出会ってきた。好きな居場所に、好きな人といっしょにいたいと思うのは、人間の普通の欲求だと思う。

 

 

 

 ***

 

 

連休中に、那須の旅に行ってきた。
大学のサークルの友達。という表現では足りない、
ほぼ、家族、と言っていい3人と。


わたしのだめなところも好きなものも性質もなにも全部知ってる。本当の家族よりも。
それでもこの人たちは、家族のように、当然のようにいま一緒にいる。それがわたしにとっても、すごく自然だ。彼女たちがどんなことをしたとしても、信じられる、味方でいる自信がある。だめなところは、だめだなあもう!と言う。言われる。それでも笑ってそばにいる。会わなくても会っていても変わらない。いちいち言葉で確認しなくても、みんな同じことを思っているという安心感がある。絶対的な、安心感が。

 

4人で宿での夕飯を食べ始めたとき、いきなり若い女性に名前を──フルネームに「ちゃん」をつけて──呼ばれた。

彼女を見つめて3秒停止して、はっと気づいたのは、彼女が小学校の同級生だということ。わたしが5年生で転校してからは、一度も会っていなかった。

実に、15年ぶりの再会。

 

よくすぐ分かったね、とお互いに。

わたしはすっぴんでいるのは通常運行だけれど、彼女はお風呂のあとだからメイクを落としていたみたい。

 

お互い住んでいる場所はそこそこ近いのに、那須で会うとは。

たまにこういうびっくりするようなことが起きる。

 

小学校の頃、わたしは彼女といっしょに習字をやっていた。

当時わたしは、いつも賞を取っていた。学校でも、全国の大会でも。始業式や終業式などの全校集会の日は、前に呼ばれて賞状を受け取りに行かなきゃいけないから朝から最悪な気分だった。入選する度に、おじいちゃんおばあちゃん、家族、いろんな人に、やっぱり血だねえ、才能だねえ、と言われた。

わたしのおじいちゃんは、お習字の先生だった。

わたしが小学生の頃に亡くなったから、おじいちゃんに会った記憶はすこししかない。お習字を教わったこともないけれど、わたしの書くものが評価され続けた理由はたしかに、血、なのかもしれない。

それでも、休日に先生のところで、朝から夜までみっちり練習し続けて仕上げたものが入賞したときに、「才能だ」と言われるのに、子どもながら、心のどこかが、もやもやしていた。

たしかに、わたしはいつも、がんばらなくてもそこそこできた。
文字どおり、優等生だった。成績はいつもよかった。なんとなく教科書を見れば理解できたから、テストの点数は取れた。だから、社会がいつも苦手だった。勉強して覚えなきゃいけないから。

高校受験は大変だったけど、いちばん入りたかった高校に入るとさらに人生が楽しくなった。やっと「言葉が通じる人」がまわりに出現した感覚だった。

でも、大学受験が辛かった。

苦手な日本史が足を引っ張り、なかなかいい成績が取れなかった。そんなとき、大好きな友達が心の支えだった。まわりの友達はみんな、だめなわたしをまるごと全部知っていた。それでも一緒にいた。居心地が良かった。

でも、親の目が嫌だった。わたしの「実力」が、数字で如実に出るから。合否で運命が決まるから。あなたの娘は、この程度なのだ、と。

つらくてつらくて、自分を傷つけたいと思う日も多かった。実際に傷つけていた。第一志望の大学の試験日の前日も。

第一希望の大学は落ちたけど、東女の英文に受かった。

2010年にあの門をくぐったときはひとりぼっちだったけど、卒業するときには友達や先生と一緒だった。卒論の先生からの評価も高かった。

そして、大学院に入学して、がんばってもできないことが突如として出現した。
今までとは違う。あれおかしいなと思った。
評価もされたけど、それよりも劣等感の方が強くなった。

 

自分より「できる」人に、たくさん出会った。あれ、意外と多いぞ。当たり前だけど。なんだか辛いぞ。 

そんなふうにして自分の価値を感じられなくなり、先生にできる子として見られない自分が恥ずかしいわたしは、とりあえず逃げ回った。

 

そうなんだなあ。知らんかった。

でも、たしかにそうだった。

 

 

博士の先輩は、わたしと似ている部分があって、わたしのことをすごくよく理解してくれている。

先生から逃げる気持ちも理解した上で彼女は、

「先生、わたしたちのことそんなに期待してないよ」

と言った。

 

ぬあ!と思った。

 

そうだ。そうじゃん。
教授にとっていち学生の、院生のぽんこつ具合なんて、どんだけちっちゃなことだろうか。学生がすごくできようができなかろうが、所詮他人事。評価していただけるのはうれしいけれど、本当の実力より上に見積もられて気に入られたところで何の意味もない。中身が空っぽなんて、無意味のかたまり。あほみたい。
それに、もうわたしのだめなところもわかってくれている。べつに逃げることなんてない。わかんない、できないから教えてくれ、勉強したい、勉強している、でいいのだ。

 

そのあとまわりの先生の顔が思い浮かんだけれど、数分前とまったくちがう感覚だった。
ずっと、楽だった。

 

大学二年生のとき以来の、まっさらな、知識や知性への憧れと好奇心。

久しぶりの感覚だった。

 

自分でも、長いあいだかけてよう作ったなあと思う。
名付けて、「期待されているからそれに応えるわたしでいなきゃセルフイメージ」。
でも、長女や長男の人には比較的多いんじゃないかと思う。
どうなんだろうか。

 

 

 

***

 

 

ときめくものを取捨選択することが大事だと思う。
そういう感性を研ぎ澄ませること。

本当に大切な人は、どんなことがあっても見守ってくれる。
今もずっと、その人から大きな想いを受け取って生きている。
そういうエネルギーが、不思議と、ゆっくりと、自分のなかに降り積もっているのだ。

自分を低く見積もらないこと。
自分の状況やまわりの環境からの影響で自信をなくすこともある。
信じるものを、決めること。
信じたい人の言葉を信じること。
ちゃんと、自分で。


それはたぶん、自分の吹く笛の音を愛することとも同じだ。
自分の息を笛に吹き込む。自分にしか出せない音が響く。
どんなにまわりがうるさくたって、それぞれ奏でる旋律が違っていれば、それだけ自分の音がわかりやすくなる。
一斉に吹くユニゾンでも、自分の音をずっと聞いていれば見失わないはず。

ゆっくり。じっくり。

ゆっくりする時間、なかったな。
振り回されすぎた。

振り回してもらうの、うれしかったから。


でもこれからは、片足はどこかに固定しなきゃ。
そこからがんばっても手が届かなかったら、ごめんなさいと言って、あきらめること。

嬉しいけれど、わたしはここで生きます、と。
たぶん、そういうことなのだ。

そしてそれは、おとなになるということでもある。たぶん。

がんばる、をすることで、人は評価される。よくがんばったねと褒められる。
でも、もう、評価を求め、評価で喜ぶ時期は、終わり。


自分のときめきを堂々とコンパスのように携え、その針を信じて進めばよい。

 

「自分の本音と向き合う」って、どういうことだろう。

自分の、内側の声。


だれにも左右されない、嫌われる嫌われない、信じる信じないの問題ではないところにあるもの。

それは揺らいではいけないと思っていたけれど、揺らぐこともある。

どうなりたいか。

手段とはちがう。どういう人間になりたいか。
それって、明確になっていないと、だめな人間、なんだろうか。


うまくことばにならないこともあると思う。


今回、わたしも同じようにぐらぐらなんですという言葉や、書いてくれて、言葉にしてくれてありがとうという言葉、パワーや勇気をもらった、という言葉をくれた人が何人もいた。

そういう人にわたしの言葉がめぐっていったのは、完全に予想外だった。このぐるぐるはわたしひとりで、わたしひとりのなかで完結させるべきだ、そうしようと思っていたから。なぜかそれをおっぴろげてしまったわけだけれども。

結果的になにか意味を持ったものになり得ると気付いた。
目的は違っても、もしかしたら、どこかで化学反応が起こるかもしれない。

それは、生きることに希望があるということとつながるのではないか。

だって、絶望のなかに希望を見出してくれた人がいるのだから。

それによって、わたしも希望を見出せたのだから。

 

ぐらぐらしてても、いいんだって。
悩んでもいいんだって。

 

それは

今までちゃんと進んできた証拠だから。

まじめすぎるほど自分の人生に向き合っている証拠だから。

これから前に進みたがっている証だから。

これでいいのかと疑い、悩むことは、時間の一番いい使い方を探すことだから。
時間を無駄にしたくないというのは、自分の命を大切にしたいという欲求だから。

わたしは、わたしのように、自分の弱さや逃げにいやになりながら、それでも向き合おうとする人が、とても好きだ。

そういう人が何人もまわりにいることがわかって、ましてやそれをまっすぐ伝えてくれる人がいて、すごくうれしかった。こんなに素直で誠実な人たちに囲まれるわたしはとても恵まれている、と思った。

 

いっしょにもがいて、苦しんで、いっしょに生きたい、と思った。 

 

 

過ごしている時間とか、過ごしていた時間、どれだけ会ってないか、連絡を取っているかいないか、そういう表面的な状況や言葉を超越した場所で、人は繋がることができるのだということを、思った。

もしかしたら、知っている知らないの問題が、わたしがこれでもかとおっぴろげてしまったことによりぽーんと飛んでしまったのかもしれない。
びっくりするほど、丁寧に言葉を連ねてもらった。
そして、わたしはそれが、とても愛おしく感じた。
なんかこう、ぐいっと近い距離に引き寄せられたような感覚。愛おしいという言葉で合っているかわからないけれど、こう、いろんな色の服を何枚か着てかくれている、身体の、心の奥の柔らかいところを見せてもらって(まあその前に見せているわけだけれど)、胸が打たれた、ああ難しい、なんて言えばいいんだろう。

元彼との遠距離恋愛を通し、物理的な距離はどうやっても埋められないと学んだ気がしていたけれど、ちがうのだ。
そんなものを超えるのは、そんなものを超えて触れ合うのは、もしかしたらそんなに難しくないのだ。


いや、難しい。
すごく難しいけど、難しくない。


どこか心のなかに、アンテナがあれば。
そんなことを思った。

 

***

 

 

唐突だけれど、坂爪圭吾さんという人がいる。
わたしはこの人の文章が好きだ。それはこの人の感性が好きだから。

二年前に彼のブログの存在を知ってから、実は何度かお会いしてお話したことがあるのだけれど、絶妙な存在感のある、まさに「めっちゃ生きている!!!」という感じな人だ。

今日読んだ記事も、もう、どんぴしゃだった。

 

ibaya.hatenablog.com

 

この人は、人間のどうしようもない弱さを掬い上げる。
迷うことや逃げることを受け入れ、それでも素直に生きたいと思い、たったひとつの身体で色々なところにぶつかっては感じ、感じ、ただ、感じている。
彼の、極めて身体性の強い描写力と明晰な思考力にはいつもため息が出る。 

 

自分が弱い存在だからこそ、弱さの余白に希望は舞い込み、多くの助力を得ることができる。自分が弱い存在だからこそ、自分が自分を励ますために必要とした言葉の数々が、同じような弱さを抱えるひとにとっての(酷く傲慢な言い方になるけれど)ある種の光になることができる。「それならば」と、私は思う。自分の弱さを忌み嫌うだけで終わらせるのではなく、ひととひととを結び付け得る尊いものとして、大切に扱っていきたいと思った。

弱さは「希望」だ。 - いばや通信

 

うわあ、と思った。まさに今起こっている現象。

この弱っちい自分が、弱っちい自分を励ますために必要とした言葉。
それが、おんなじように弱っちいだれかに響くかもしれない。

弱さは、だれかとつながるための、糸になるのだ。

 

坂爪さんの文章は、しっかり自分の内面を見つめた身体性に基づきながら、自分の信念や信条がしっかり主張されているように思う。すごく尊敬する。でもたまに、彼の素直な言葉が、すっと入り込む瞬間もある。ふわふわした、あいまいな思考や感覚。そこにぐいっと引き込まれる。それを、本当によく言葉にするよなあ、すんごいわあ、と思う。だから好きだ。

 

 

これまた唐突だけど、自分たちに「臆病者の一撃」という名前をつけたバンドがある。

BUMP OF CHICKEN、である。

英語的には全然だめな感じなのも彼ららしくていい。

わたしはこの四人のバンドが、どうしようもなく、好きだ。

 

今気づいたけれど、好きなもの紹介みたいになってる。
いいか、ときめきを探しているんだから、そういう主旨か。

最後には全部つながってるので(たぶん)、暇な人がいたら付き合ってください。

 

BUMPの歌詞を書くのは、ボーカル・ギターの藤原基央
この人はおかしいんじゃないかと思うほどすごい歌詞を書く。

 

奥の奥の奥のほうにある感覚や不思議、だれかのぬくもりを求める心の声、さびしさ、せつなさ、かなしさ、希望、生きること死ぬこと、笑うこと泣くこと。

言葉をのせた声と音楽だけでこれだけ色彩豊かに表現する人たちをほかに知らないので、ずっとこの人たちの音楽を、出会ってから6年ちょっと、本当に、ずっと、聴いている。


彼の詩は文学だと思う。それも児童文学。
これも身体性が高く、子どもでもわかるようなやわらかさを持った言葉で紡がれている。
彼らの音楽がよく中二病だと表現されたりするのもそれに起因するのではないか。
生きる上での葛藤、心の闇、自分の「生」にばかまじめに向き合っている。
なんだかずっと、湿っている。思春期なのだ。

この子どもっぽい思春期っぽい心が呼応してしまうのも無理はないと思う。

この湿り気にどうしようもなく惹かれる。共感してしまう。

以下は、いちばんよく知られている、「天体観測」の一節。

 

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
イマというほうき星 君と二人追いかけてた

 

いまこの瞬間に集中しすぎる質があるせいで、立ち止まって未来はどうなりたいか聞かれると、へ?ときょとんとしてしまう。うん、たしかにすごく子どもでしかないのだけれど、一度に見える視界が狭いのだからしょうがない。わたしにとっては、超通常運行なのだ。

 

研究者として生きるということは、書くことで生きていくということだ。

好きなものに囲まれて生きられるようになるには時間がかかる。
実現には長い時間がかかる。先なんてたぶん見えない。

だから焦ったらいけない。急がば回れ
じっくりじっくり、成果が出るまで、認められるまで、認めさせられるまで、向き合い続けること。

そこからだ。だれかが魅力を感じてくれるような見せ方ができるのは。

それでもやっぱりわたしは、共感してくれる人を、一人から二人に増やしたい。 

 

 

***

 

 

「わたしが研究者をやっているのはね。」

 

この人はいつでも、まっさきにいちばんほしい言葉をくれる。
真剣に話を聞いている脳のはじっこがそう思っていた。

 

夕方、大学のお世話になっている児童文学の先生と少しお話をした。

 

ずっと、いちばん聞きたかった、研究者をやっていてよかったと思うこと、その価値を、最初に話し始めるところ。

本当に、この人はどうして、いまのわたしに必要なことも不安なことも全部見抜いて、そのときそのときに一番大事なものをちゃんと手渡せるのだろう、と思う。

 

苦しかったと思う。 きっとご両親の期待もあるでしょう、と微笑んで言った。


卒業式でお会いしたとき、ものすごく素敵なお父さんお母さんで、さとみちゃんがとっても大事に育てられたことが、さとみちゃんに期待していることが、すごく伝わってきた、あんなにやさしくて素敵なご両親、裏切れないと思う、それがあの日、すごく、すごくよくわかった、と。

 

なんだか、まわりの期待に応えようとしてきて、いま、わけわかんなくなって、だれにも相談できなくて、ふと気づいたら、まわりの見ているわたしと本当のぽんこつの自分がすごく離れちゃって、情けなくて、恥ずかしい、こんなに先生にお世話になってるのに、だめな自分でもうほんとに恥ずかしいって、

 

と、ここまでかろうじて声が出ていたと思う。

ずっと泣けなかったのに、初めて泣けた。話せなくなった。あれ、わかる人いますか、一番もどかしいですよね。うっうってなって息が吸えないやつ。

 

「恥ずかしくなんかない。」

 

わたしの泣き声と鼻をすする音とのあいだに、その声がはっきりと聞こえた。


彼女は、わたしが二年生のときから、ずっとずっと見てくれていた。

イギリスのファンタジーや妖精などについての彼女の授業。毎回、見せてくれる世界が面白くてたまらなく魅力的で、大好きだった。毎週毎週とても楽しみだった。
そして、彼女はいつもわたしのことをわが子のように見る。子どものような瞳から、深い愛情が伝わってくる。いままで出会った人で、あんな人はいない。そう断言できる。ん、いや、その瞳はたまに母にも感じる。少女だけれど、お母さんの、やわらかく優しい瞳。


失恋してから初めてだ。こんなに、頭が痛くなるまで泣いているのは。

これがわたしだ。と、思う。いま。

 

わたしがこの世界でいちばん、この人に申し訳ない、こんな自分で恥ずかしい、と思っている人から、「恥ずかしくなんかない。」と言われた。

 

いい子ちゃんだ、つまんないって言われたんですと笑いながら言うと、先生はこう言った。

昔ね、なんであなたは何でも吸収して何でもがんばれるんだ、なんでそんなにいい子なんだ、きもちわるい、こわい、と言われたのよ、と。

いい子はね、研究者をやるには大変だと思う、それに論文を書くのは向いてないと思う、と言われた。先生もそうだと。

いろんなものに影響されすぎるから。書いてても、こんだけいろんな研究者が書いてるんだからもういいじゃんと思ってくる。知識不足で申し訳なさを感じてたこともあるし、そのときは本当につらかった。笑わなかった。と。

 

わたしだって、ずっと恥ずかしかった。緊張して。やっとこれでいいと思えたのはここ数年よ、でもね、いま、すーっごく幸せ。

 

と、少女のような満面の笑顔をした。

 

その笑顔に惹かれてここまで来た。

いつだって子どものように生き生きとしたその姿に。

 

ああ長いんだなあ、人生。

 

こんなにも、同じ目線で、まっすぐに目を見てくれる。

この人とはなれるの、いやだなあ

好きだなあ

 

と書きながら泣きじゃくっている。顔も手もびっしょびしょでわけわからない。たおるもびしょびしょだし。

 

最初の記事に書いた、このぐるぐるのきっかけの電話のことを話したら、

「いい人に出会ったわね。」

と、うれしそうに微笑んで言った。本当に、お母さんみたい。

 

帰りがけに、もう、今日はいい子ちゃんで会いたくないと思って・・・と言ったら

まだだめよ。と言われ、ええー!と言ったら

けんかふっかけなきゃ! と。

 

 

この人みたいに。

 

ばかまじめに、人生をかけて学生と向き合う人になりたい
大学の先生になりたい
悩む若者たちにじかに接して社会に送り出したい
きっと今まで出会った人にもらったものも手渡せる
空きコマは面談でいっぱいいっぱいで、死にそうになるくらい忙しくて
でも
勉強してきた最後に「知性」のプレゼントをあげられるような
学問の楽しさを垣間見させてあげられるような
「いい子ちゃん」でいる子の内側を見つめられるような

一番身近なおとなでありたい

尊敬される人ではなく
好きだと言われる人でありたい

だめなところもあるけれど
それでも夢中になって好きなものを好きだと言い
毎日だれかにそれを紹介していく
毎週の授業が待ち遠しくてたまらなくてどきどきしながら準備する
たった90分で、ひとつでも多くときめきを手渡せるように
ひとりでも多くの若い心に響くように

 

いま、たしかに、そう思っている。

 

うん、もしかしたら変わるかもしれない。今泣いていてもまた少しして落ち着いたら、冷静になってまたぐらぐらの位置に戻るかもしれない。

それでもいま、たしかにそう思う。

 

昨日の先輩の顔も、先生の顔も、会って話してくれる人たちの表情は、これでもかとわたしとむき合う真剣さに満ちていて、もう、それを思い出すだけで涙が出てくる。

電話の声もそう。メッセージやコメントの文面もそう。

もう、いっぱいいっぱいになってしまう。

 

大きな力で、背中を押してもらう。

 

弱虫でも、臆病者でも、どーんと一撃、なにかを響かせることができるんじゃないか。

同じように臆病な、弱虫なだれかの胸に。

 

 

いろんな人が鳴らしてくれる手の音がちゃんと聞こえる。

 

おとなになろうとする自分にぽつんと置いてけぼりにされていた自分のもとへ、

一歩一歩、歩み寄っていっている気がする。

 

 

 

ずっと、この身体で生きている。

 

 

 

 

手の鳴る方へ

これでもかとおっぴろげつつ、こんなに多くの方に読まれると思わなくて、昨日一日中、Facebookの反応に毎度わたしの顔はかーっと熱くなっていた。

コメントを残してくださった方、長い長いメッセージをくれた方、今日これから会おうと言ってくれた方、明日空いてたらおいで、と呼んでくださった方まで。

正直、本当に、本当にびっくりした。こんなにも反応があるなんて。

 

ブログを始めた、というより、昨日の、いや昨日までの、身のまわりの、わたし自身のカオスを一度整理しなければならない感じがしてかなり衝動的に書いたものを、とりあえず誰かの目に触れるところに置いておこうという感覚だった。なぜわざわざこんな恥ずかしいことをしているかは正直あまりわからない。

 

でも、とりあえず文章にして残すということには、僅かでも、何らかの意味があるかもしれない。

 

ぽんこつの、苦し紛れの一歩だと思いたい。

 

 

昨日、文章を読んで連絡をくれた、わたしをとてもよく知る人に、すごく綺麗にまとめてる、綺麗すぎると言われた。

いつものわたしと違う感じがする、ぐちゃぐちゃしてない、どろんこじゃない、と。

 

すごく気になった。たしかにそんな感じもする。この人以上にわかってくれている人はいるのだろうかというくらい、よく見てくれているから。
けれど、昨日はだいぶおっぴろげた。脳内だから、カオス、である。
けれど、整理することが目的だから、ある程度、時間を追って書くことを意識した。
めまぐるしい気持ちの流れを追った。理由を探した。だから、すこしは整ったのかもしれない。

 

たしかに、わたしはよく、ぐちゃぐちゃのどろんこのなかにいる。
でも、それを整理すると、ひとつの大きな流れになっているのかもしれない。
別々のものだと思っていても、もしかしたら、同じ大きな川の流れのなかにあるのかもしれない。

 

わたし自身がその流れを知りたかった。
新品の無印の透明なクリアケース(長方形)に、目の前に広がる雑多なものをとりあえず並べて入れて、全体を見渡したかった。

 

***

 

今日、暇なら来なよと、うたの先生が呼んでくださり、美味しすぎるごはんや甘いものをご馳走してくださった。
わたしがとてもあこがれる、おふたり。

たくさん、お話をしてくださった。

自分が若いときのこと。今までしてきた選択のこと。
すこし緊張はしたけれど、話さなくても大丈夫だという安心感があった。今ここで彼らに価値のある時間を提供しなければならないという義務感がなかった。
あたたかくて、やわらかくて、ゆるくって、肩の力を抜いていいと言ってもらっている気がする。うたの関係のみなさんといると。
そこが、わたしがあの場に惹かれる理由なのだと思う。
しっかりなんかしてなくていい。好きなように生きよう、それでいいんだと言ってもらえる気がする。


ぐらつくのは真剣に向き合っている証拠だということ。
好きだと思ってきたことが好きじゃないのかと思うことが、普通だということ。
いつやめてもいいし、いつ始めてもいいこと。
まだ若いということ。
だめな自分を許すこと。
もうすこしゆるく、が、必要なこと。
生きるのにとても大事な、自分の見方と、心持ち。

たくさん教えてもらった。

彼らは、「在りかた」がとても自然で、
命にまっすぐに、とても誠実に生きている感じがする。

 

わたしもそう生きたい、と思う。

だから、たぶん、いま、苦しむのだと思う。

 


***

 


音楽の世界で交わる人たちに、大切なことを教えてもらうことが多い。

わたしが憧れる素敵な女性のひとりは、わたしのフルートの先生だ。


あるときわたしが、だれかに「頼る」ことが苦手だ、迷惑をかけることを苦しく感じる、と言った時に、先生が教えてくれた。

 

人はかならず、関わりのなかで生きているね。
迷惑をかけることも、関わりかたのひとつ。
迷惑をかけられている方は、それを迷惑だなんて思っていないことも多い。

関わっている、ってことだよ、と。


そして、先生は言った。


今の、さとみちゃんという人は、2割はお父さんお母さんかな、1割は、さとみちゃん自身。あとの7割は、出会った人で、できてるんだよ。


ああ、そうだ。ヒントをもらっていたのか。

 

わたしは人に恵まれる。

と、思っていた。

 

なんだか不思議なくらい、奇跡のようなタイミングで、いろんな人が、いろんな縁で、すっと手を差し伸べたり、引っ張ってくれることが、そういう不思議なことが、生きていてとても多い、と。


それはたぶん、もしかしたら、自信はないまま言うけど、すごく、わたしなのかもしれない。


「本当に、わたし、人に恵まれるんです、わたし自身はこんななのにね、本当に、どうしましょう。」

そう言ったとき、

それも、さっちゃんやから。と言ってくれた人もいた。

そのままで、よろしい。ひっぱってもらい。
今のさっちゃんが、みなを引き寄せてんやから。と。

文脈をガン無視するけどわたしはこの人がすごく好きだ。

 

ひょっとしたら、人に恵まれる、というのは、不思議なことでも、スピリチュアル的なものでもなく、まあそれもあるかもしれないけれど、割とこの世界で起こる自然な現象なのかもしれない。

そういうなにかがあった、または、もしかしたら、わたしのなかにまだ、ちゃんとあるのかもしれない。


だれかに、時間を使って命を使って向き合ってもらう、会おうと言ってもらう、そういう目に見えるものに、なっている。


何時間もかけて向き合ってくれた人がいた。
そういう、だれかの想いなのだ、力になるのは。


ああ、いていいのだ、と感じるような
根拠の無い自信の源のような

 

それが、もしかしたら、この二年のあいだ、恋人から求められること、という単純なものによって保たれてた気もしないでもない。 

いや、そう単純でもない気がする。どうなんだろうか。

 

そういえば、昨晩はおもしろい夢をみた。

元彼が新しい彼女と仲良さそうに映画の上映かなんかを見ていた。わたしは友達と。席が四つくらい離れた場所で。

 

おお、なんか、しあわせそう、よかった!と思いつつ、気になった。
朝、目が覚めてからの、心のずーんとした重みは、たぶんそのダメージだ。

 

 

最近まわりに新しい恋人ができた人がいて、その人の言葉が、昨日、刺さった。

 

自分でもあほみたいだと思う言葉でも、どうしても刺さることがある。

それも、笑ってしまうくらいに。

感受性をこう、もうちょっと緩められんのかと自分で思う。

気にしない、が、難しい。

 

それにしても、夢、単純すぎやしないかと思う。

 


最近、まわりに結婚している人が増えた。
日々の、SNSでの入籍や出産の報告が、格段に増えた。

もちろんそれは一部の人たちで、知り合い全体を含めても、全然多くない、数人だけれど。

どうしても気にしてしまうのはきっと、少し前まで、自分がそうなると思っていたからもあるだろうと思う。

自分が二ヶ月ちょっと前、そういう状況のとき、まったくと言っていいほど気にしなかった。

結婚したいと言われる自分の価値。恋人でなく、家族というレベルでの理解者ができることの安心。そういうすべてが、自信のようなものになって、気持ちを安定させた。自己肯定感、ってやつ、か。

 

ある人に、最近わたしの感情があまり動かないのは、振られたからだと言われた。

一瞬、それはないと思ったけれど、それから、


ふむ。

あながち間違っていないかもしれない。


と思った。もしかしたら。

もしかしたらわたしはこの2年間で、そういう自信みたいなものを、恋人という位置にいる人の存在で保っていたのかもしれない。

それは当然のことかもしれないけれど、それが無くなってバランスを崩すのはあまりにも情けない。恋愛しかないみたいな、なんというか、弱くて、頭の良くない感じがする。自分がそういうイメージに繋がる価値観を持っていたという可能性は、あまりにも認めがたい。
これ自体も、頭の良くない感じの、ひどい偏見だけれど。


ただ、気持ちの高まりとしての恋愛というより、わたしにとっての最大の理解者兼求めてくれる人という捉え方だった気がする。むこうはただ女性として、または奥さんとしてという捉え方かもしれないけれど。わからないけれど。

 

今はやりの

前前前世から僕はきみを探し始めたよ」

なんて、女の子としての自分より、まず一人の生きている人間として嬉しすぎる言葉でしょう?


きっとそういう、人間としての、生きるための精神的基盤を、他者の存在に見出してしまったがために、もしかしたらバランスを崩した。

まあ、付き合っているあいだもバランスは不安定だったにせよ。
むしろそれも、「彼女としての価値うれしい!」と「いや、完全な理解などできない、孤独!」のあいだの揺れでもあったわけだから。たぶん。

 

人間って、勝手だ。

 

***

 

おっぴろげてみたら、それに反応があった。
このことにまず、びっくりしている。

 

だって、なんというか、綺麗に整えたかもしれないけれど、かなり衝動的な、吐露、いや、排泄、うーん、むしろ嘔吐に近い。

気持ち悪くて気持ち悪くて、出さなくてはいけなかった。出てしまった。

 

そして、そんなものを、赤ちゃんの吐息などと、やわらかい表現を選んだのもわたしだ。

中身はおむつに包んだ方がいいものだった、ということが事実であるにもかかわらず。

かっこつけた、というのもなくはないんだろうけれどしっくりこない。
たぶん、わたしらしいのだと思う。このタイトルの言葉の選び。

 


読んでくれる人や、反応をくださる人がいる限り、「書こう」と思える気がする。

 

そして、それはきっと、「好きだ、人生を一緒に生きたい」というだれかからの告白や、 何時間も会って時間を過ごしたり話をすることや、すごくわたしっぽいアクセサリーのプレゼントや、見捨てずに「心配」されることや、そういうことがある限り、「生きよう」と思えることと、イコールだと思う。

 

ある一人の人間、単体にむけた一通のメッセージが届くことは、そんなにも「生」を肯定するのだ。


校正せず、出したなら出したままで。
洗って整えて並べて、をしない、
排泄物らしい、
くっさくてカオスなままのもの。

それはたしかに、わたしらしい気もする。


自己を表現すること。
それによる連鎖と、めぐり。


あれ、これは、生きる理由でいいんではないか。
割とおもしろい、割と楽しい、人間の活動であるような気がするぞ。
お。そんな気がするぞ。


言語化をすること。気になっているものを。自己を。書くこと。誰かがそれを読むこと。それが知識のレベルであっても思考のレベルであっても論理のレベルであっても、一人の人間が考える「何か」が表現され、知の財産として残される。

 

文学も、だ。
もしかしたら、批評も、エッセイも、論文も、研究することそのものも、そうかもしれない。

そういうことを、この、思考を文字に起こす作業と、そして、形になったものへのだれかの言葉や反応で感じるなどとは、思ってもみなかった。


生きているとは、そういうことに出会うことかもしれん。
さては、生きているということには、希望があるのかもしれん。

 

希望があると思いたい、と言ったら、

あるよ、希望、と言ってくれた人がいた。

 

その人はわたしの研究することや考えていることに対して、

「おもろい」

という言葉をくれた。


たった一人だけ、この世界に、「おもろい」という共感があっただけで、ああ、やってみようかなという気になった。

 

という、気に、なった。

 

なのにその人は最近、あまり元気がないように思う。
文脈をガン無視するけどわたしはその人になにもできなくてもどかしい、よくわからない何とも言えない気持ちでいる。
それなのに彼はわたしにこの前、自分を大切にしてあげて、と言った。

 

いや、あなたが言うんですかと思うほどだったけれど、それをそのまま彼に返すと、人に言うといてやりかたがわからんと言った。

 

そうなのだ、自分を大切にするというのは、どういうことなのだろう。
そこからしばらく考え込んでしまって、まだ答えが出ない。

 

「自分を大切にしてくれる人を大切にすること」

 

これが、ひとつだけ、そのときにぱっと思いついたことだった。


とてもわたしらしい、と思った。
彼には伝えなかったけれど。

 

自分を大切にする、には。
大切にしたくなるには。

 

ああ、彼に何と言ったらいいだろう。

 


お、ぐちゃぐちゃしてきた。
ちゃんと吐瀉物っぽい。
ちゃんとってなんだ。

 

 

あの記事を、「弱音」ととった人もいたし
「綺麗にまとめたもの」ととった人もいた。
「開けっぴろげな叫び」だと捉えた人もいた。
「バトン」と言ってくれた人も。
あれだけおっぴろげられるのはびっくりだという人も。

 

そして、昨日と今日いただいた何通かのメッセージのなかに

「尊敬する」という言葉があった。

 

わたしの言葉のこと、わたしの文章のこと、
わたしの「がんばる」のこと、いまの、わたしのこと。

 

うれしい。でも、その言葉にあまりにびっくりしてしまって、あんまり飲み込めていない。信じられない、というか、信じるのがこわい気もする。

 

いかにぽんこつかを書いたら、尊敬すると言われた。
おもしろい現象だ。

人間っぽい。人間界っぽい。

 

自分を大切にするために、
まずは、もらった言葉を大切にしたい。

 

 

***

 

 


連鎖はめぐる。

 あるときから、そういう考えがわたしのなかに根づいてきた。

 

"Pay it forward" というのは、わたしが事あるごとに思い出す、好きな言葉だ。

 

文脈をガン無視はしないけど、すごい好きな人が本当にわたしによくしてくれて、色々教えてもらって、この感謝をどうしようかとぐあーってなっているときに、きみより下の子らに渡していけばええ。ぼくも若いときよう助けてもらってたから。と、よく言われた。

わたしに巡ってきた優しさや思いやりは、手渡してくれたその人が、きっとかつて、近くにいただれかから手渡された、数知れぬ想いなのだ。

それを日常で感じるようになってから、だれかにそれを手渡されるとき、申し訳なさよりも、心の奥から湧き上がる感動が、感謝の気持ちとともに感じられるようになった。

 

すごい世界だ、と。

 

この世界の、めぐり。
昔からつながってきたもの。はるか彼方からつながってきたもの。
いつか、どこかに、だれかにつながっていくもの。

 

そういうものに、どうしようもなく、心が惹かれる。

心が惹かれる。か。

 

わたしがわたしのときめきを感じること。
ときめきを得られない原因があれば、取り除くこと、ときめかないもので埋めない、ときめかないものから離れること。 

いまわたしが必要とするのは、こういうことである気がする。

 

それで、ここ最近の、空白で、それをするチャンスやヒントが転がっている。
いやちがう、そういうものをすっと差し伸べてくれる人が、何人もいる。

 

感謝、とか、ありがたい、とか、言葉にしてしまうと、なんておとなしくなってしまうんだろうか。

もっと暴れた、重たいマンホールをふっとばすような、
もっと熱い、だっこした眠る赤ちゃんの体温のような、
全然、全然おとなしくない、感情なのに。

 

すごい世界だ。

 

 

と、いうぐるぐるを、どうでしょう、洗わずに、整えずに、校正せずに、垂れ流して置いてみています。


わたしを「どろんこまみれ」だと思ってくれていたなら、それでも好きだと言ってくれているなら、ものすごくぽんこつの、本当のわたしをちゃんと見てくれているということじゃないか。

なんだかいろいろありすぎて自分を忘れてしまった、
それでもたぶん、まわりの大切な人たちは見抜いている。

 


昨日の記事の写真に、

「あまりにもさとみの面影がありすぎてわたし今泣いてるんだけど…」 

と、今朝、連絡をくれた友達がいた。

 

家族だ。よくわたしたちはそう言い合うけど、この言葉をもらったとき、ああ、やっぱり家族だと思った。

一時の恋愛感情のように脆いものではない、一人の人間をまるっと認め、それでも好きだと、軽いやわらかい紙でふわっと包み込むような。

わたしがどうこうではない、血がつながっている以外に何があるんだ。という、揺るぎなさ。それでも一緒に生きたい、生きるんだぞ、という、強さ。

 

「赤ちゃんの吐息、お母さんは聞き逃さないし、すごくすごく愛おしいものだよ」
と言ってくれた人もいた。わたしは子どもを産んだことがないからわからないけれど、これを読んだとき、赤ちゃんのにおい、ミルクと汗とが混じった、何とも言えないやわらかいにおいがして、それをこの上なく愛おしそうに見つめるお母さんの姿がはっきりと目の前に浮かんだ。しっかりした体験と感覚の言葉だと思った。すごい衝撃だった。


ああ、これ以上言葉に変換してしまうのがもったいないと思うほどの気持ちだ。

言葉は限界を持っている。けれど、このふわっとした心を、手にとって見る形にすることができる、とても優秀な、媒体。

頼ってみても、いいかもしれない。


生まれてから抱えてきたこの身体を、今も続くこの心臓の鼓動を、微かでも続く呼吸を、そこから出てきた言葉を、いま、聞き逃さないでいてくれる人がいるということを、聞き逃さなかったよと伝えてくれる人がいるということを、確認するために、忘れないために。

 

この文章のなかで、まわりの人の言葉や話が占める割合、だ。
ほとんどだ。でも、これが、とても「わたし」なのだ。
だれかの「生」が、「時」が、蓄積してきた。
25年前にこの世に生まれた、まっさらな「生」に。
これからもきっと、世界のめぐりの一部として、それは、存在する。存在したい。

 
 

こうしてまた8000字を書いた、いや「出した」ところで、一度、だれかの目に触れるところに置いておきたい。 


前の文が「綺麗すぎる」と言って、昨日、会って話をしてくれた彼は、

将来不安かもしれないけど、そんなにひとつのことに夢中になって輝いている人を、人は放っておかない、と言った。

 

そして、彼が最後に微笑みながら言った言葉に、どうしても心が動いて、声が蘇るとまだ涙ぐむ。文脈をガン無視するけどわたしはこの人もどうしようもなく好きだ。

 

ちゃんと大事なもん持ってるじゃん、

大丈夫だよ、その時々で、チャンスがあったり、引っ張ってくれる人が現れる。

 

手の鳴るほうへ、じゃないけどさ。

 

 

 


ママが作ってくれたドレスに身を包み、カメラを向けられてとりあえず「かわいいのポーズ」をしていたあの頃のわたしは、わたしのなかにまだちゃんと生きている。

自分じゃあどうしようもないときも、泣きじゃくっているときも、どこかでだれかが叩いてくれる手の、あの、体温のぬくもりを含んだ空気の振動に、ちゃんと導かれてここまで来た。

おんなじ心臓のままで、吸って吐いて、が続いている。

 

https://www.instagram.com/p/BKixJ7vhVmf/

かわいいのポーズ #wheniwasachild

 

ずっと、この身体で生きている。