赤ちゃんの吐息くらいで

この文書をどうしたらいいのか、わからないけれど。

書いてみようと思う、とりあえず。画面の前の、だれかにむけて。

いや、この画面の前にいる、自分にむけて。

 


今朝、早めに目が覚めたけれど、なかなか起き上がれなかった。
昨日のつづきの、おかしな夢を見ていた気がした。船に乗り、ひどく揺れながらも、「ううん、だいじょうぶ」と、必死で目の前のだれかに笑いかけていた、気がする。

 

昨夜、ある方と電話をしていた。40分ちょっとだった。ここ数ヶ月、私が彼に対して大変な不義理を、常識を欠いた失礼なことをしていたにもかかわらず、その人は、今の私の状態を的確に指摘してくれた。

ぐらぐらしている、将来自分がどうありたいのかを向き合って考えなよ、と。
優等生で、いい子ちゃんだから、つまんない、自分とも本音で向き合ってみなよ、と。

彼の本当の言葉を、真剣に、わたしに手渡してくれた。あたたかく、優しい人だと思った。混乱しつつも、まっすぐに言葉をかけてもらったことがありがたかった。

飽和状態の脳みそとひどく痛む胸を押さえてベッドに倒れ、ため息とともに眠った。


***

 

逃げている。

ずっと。そんな感じがしていた。

 

約一週間前に、同じ言葉を、世界で一番信頼する先生からも言われていた。

「あまりにぐらぐらしすぎている」と。


先月わたしは、二年半在学した母校の大学院の修士課程を修了した。
卒業が決まってから、ぼーっと過ごした高校の夏休み以来の、「ゆっくりした自分の時間」ができた。

 

思えば、ずっと走ってきた。片時も離さず持ち歩く分厚い手帳には、文字通り空白がない。
毎月のページをめくると、ぎっしりと書かれた細かい文字が飛び込んでくる。

 

学校の予定、地域活動の予定、彼氏とのデートの予定、実習、修士論文のチャプターごとの締め切り、友達とのお茶の予定、塾での授業、いろんな種類の学会や講演会、提出物の締め切り、歯医者の予約、翻訳の勉強会……。

 

なぜ分厚いのかというと、一日一ページの手帳だから。

同じ種類を使って今年で三年目になった。
その日のページには、感じたことや新しく知ったこと、自分の考えを書き、その日に行ったカフェやおいしいパン屋さんのショップカード、観に行った映画や展覧会のチケットなんかも貼り付けてある。

 

見返すと、毎日が濃厚だ。

重い手帳が、25年生きてきたこの身体の、命の記録のように思える。
うーん、この考え、文字通り、重い、我ながら。でも、そういう性格なのだ、たぶん。

 

感動しいだから、ジェットコースターの心を抱えていたら、すぐに時間は過ぎてしまう。
大切な人、大切な場所、ぜんぶ、大事に両手で抱えた。
すこしくらいきつくても大丈夫。

 

ちゃんと全部、見ていたかった。

ちゃんと全部、感じたかった。

 

すこし限界が見えると、こわくなった。どれも手放すことができない。この手から離れてしまうのが心もとない。全部抱えられない、自分の小さい手がもどかしい。どうしてこんなに小さい手をしているんだろう。おまけに筋力もない。身体に異変が出た。

ああ、悔しい。と思った。

 

「やってること全部、経験になるから、と言って、本当に大事なことから逃げてる気がする」と、付き合っていた彼氏は言った。

 

限界が来た。卒業することに集中した方がいい。

 

どうしようもなく、吐きそうになりながら、お世話になっている方や仲間に、休ませてくださいと伝えた。ずっと、胃の下の方を掴まれているような鈍い痛みがあった。 

 

それから三週間の教育実習、修士論文の執筆、最終試験の口頭諮問を終えた。

二年付き合った彼氏から突然「別れたい」と言われたのは、「さっきの会議で君の卒業が決まったよ」と指導教授に言われた日だった。


彼には一年前にプロポーズされ、その十日ほど前にもいつ籍が入れられるのかと聞かれていたから、衝撃は大きかった。学生の身分で覚悟はできていなかったにしろ、アクセサリーなどほとんど買わない自分がもらった婚約指輪を手にして、おお、この人生をこの人と一緒に生きるのか、分かったぞ、よし。人生の計画を立て直して、まず結婚というものに向き合わなければならないのか、うん、おっけー。と、気持ちを半ば強引に、懸命に、そっちに向けようとしていたもんだから。

初めてと言っていいくらい、全面的に、200パーセント信じていた存在が、一瞬で消えてしまったから。

人間って泣くときこういう声でるんだ、とか、泣き崩れるってこういうことか、とか、いろいろなことを知った。
乱れまくった感情のジェットコースターは、今までにないくらい、超絶おもしろい動きをしていた。
本気で死にたいと思っても、シャワーで泣いたあとはすぐすっきり幸せな気持ちになった。
心から楽しい気持ちで過ごした日の夜に、孤独感で死にたくなった。

そんな動きだったという事実を覚えているだけで、感情の再現は全くできない。
気持ちそのものがどういうものだったかは、今ほとんど思い出せない。

でもそんな乱れも、意外とすぐに落ち着いた。
時間が経って、まわりの人のやさしさもあって、やっと心から、彼がこのタイミングでいい選択をしてくれてよかった、たくさんのことを学ばせてもらった、と、感謝の気持ちが溢れてきて、幸せになってほしい、と思えた。

それが先月下旬の卒業式あたりのときだった。


そして、わざわざ式に来てくれた先生にお礼のメールをしたところ、「博士に進む動機がはっきりと見えない」ということを含んだ、長い長い返信を下さった。

全部見透かされている。的確すぎる助言だった。

 

修論を書いてからほとんど勉強していなかった。博士に行く、院試の勉強もしなきゃと言いつつ、やる気も起きないまま、関係のない本を読んだり部屋の片づけをしたりふくろうカフェでふくろうをなでたりしていた。

 

メールをくれたその先生は、わたしにイギリス児童文学の魅力を教えてくれたきっかけをくれた、今までわたしを研究の道に引っ張ってくれた張本人。

だからこそ、響いた。
響いたどころじゃない、地響きでいろんなものが崩れた。

がれきを前に、立ちすくんでしまった。

そんな状況に、今ある。


***


学校の最寄り駅からバスに乗ってぎりぎり教室に着き、教職の授業を受けたあと、この混乱する心をどう扱ったらよいか、どう処理したらよいかと、院生室で一人、途方に暮れていた。

だれかに相談したい。相談ってなんだ。自分のことなんだから自分で考えないと解決しないんじゃないか。向き合わなきゃ。でも実際、考えていてもわからない。どうしたらわかるようになるか、だれか、教えてくれはしまいか。
ああ、とりあえず、とりあえず、なんとか、どうにかしなければ。

 

まわりの大好きな人たちの顔が浮かんでは消える。

こんなにも周りに信頼している人たちがいるのに、だれ一人にも声をかけることができない。助けてと言えない。

こんなにも「ぐらぐらしている」つまんない悩み相談をするのは悪い、と思った。

 

自分が分からないなんて、おかしいんじゃないか。なんかこわいし。

人格障害なんじゃ。ネットで見れば見るほど、そんな気がしてきた。

心療内科とか、行ってみようか。うーん。

 

ふと、たしか院に入学したときのガイダンスでちらっと聞いた、大学の相談室の存在を思い出した。専門家がいる。
考えるより先に電話をかけ、数分後にはカウンセラーさんの前に座っていた。
こういうことは初めてなので緊張しつつ、今の状況をそのまま話す。


今まで慌ただしく走ってきたけれど、やっといま時間ができて、からっぽな感じがすること。
昨日の電話で、かけてもらった言葉のこと。
まわりの期待に、理想に、応えよう応えようとがんばってきて、いろんな場所があって、本当の自分も、自分がやりたいこともわからないこと。
彼氏と別れてリセットされて、自分の人生を生きるということを考えるようになったこと。

実家の塾で中学生を教えていると、自分が生きている価値を感じること。

他ではそれが感じられないこと。

むしろ今までは、地域活動でも居場所があり、優しい彼氏がいて、周りの人からよくしてもらって、必要とされて、自分の価値を感じていたこと。

一方で、やるべき勉強をしてない罪悪感と劣等感がひどいこと。

逃げている感じがすること。

本当はぽんこつな自分がいやなこと。

好きだったはずの研究対象、イギリス児童文学も、本当に好きなのか、疑い始めたこと。
行くと決めていた博士課程も、本当に行きたいのか、なぜ行きたいのか、その答えが出せないこと。

25歳にもなって。


過去も想いも状況も見事なほどにごちゃまぜのわたしの話を、真剣に聴いてくれる彼女。
最後に、「まわりの期待に応えようとがんばって、できちゃうからどんどんこなしていって、取り残された本当の自分と、乖離しちゃったのね。」と整理してくれた。

わたしも話しながらなんとなくそんな感じが分かってきていた。

そして、彼女はこう言った。


「それが、しんどかったんだ。」


ああ、と、思った。

しんどかった、のか。

わたし、しんどかったんだ。


「しんどかった。」

 

そう口にした途端、せきを切ったように涙がこぼれた。次々流れるからびっくりした。

 

彼氏と付き合ったのは二年。地域で活動しているのも二年。

二年間甘んじていた、基盤が、揺らいだのだ。

同時に、期待される、好かれる自分になろうとする「がんばり」も揺らいだのだ。

楽になりたい。自分を生きたい。

今年に入ってから続いているこのもやもやはきっと、そういう心の叫びなのだ。

 

まだ混乱は残りつつ、すこし元気な顔で相談室を出た。

「聴く」ってすごいんだなあ。と。

「学費を払ってサービスを享受する」「あくまで仕事として聴いてもらう」という状態が、わたしには必要だった。

きっとヒントや答えをくれる人はわたしのまわりにたくさんいる。助けてくれるとも思う。

でも、知っている人に時間を取ってもらうなんて、おそろしく気を遣う。申し訳ない。どう思われるかわからない。こわい。

 

それから、指導教授に呼んでもらった博士の授業に出て、帰路についた。

 

地元の駅についてバスに乗り、Facebookを開くと、目を引く文字が一番上に出てきた。

tatsumarutimes.com

Tatsumaru Timesを書いている、達平さんの記事。
春ごろに一回お会いした達平さんにはもともと惹かれていたけれど、記事はたまにしか読んでいなかった。読んでいた基準は今考えると「やわらかい感じのする」記事だ。
アプリを開いていきなり一番乗りで目に飛び込んだその文字には、0.1秒で触れた。

その記事に、前回のエントリーのリンクがあった。

「やりたいことは自分のなかにある」と思っているあなたへ | Tatsumaru Times

0.01秒で触れた。
ご存知の通り、今のわたしは「やりたいことがどこにあるかわからなくなっている人」以外の何物でもない。

その記事には、達平さんの素直な文章とともに、山田ズーニーさんの文章が引かれ、さらにある本が紹介されていた。

 

おとなの進路教室。 (河出文庫)

おとなの進路教室。 (河出文庫)

 

 

0.001秒で出発する寸前のバスを降り、図書館に走った。途中で行き先を本屋に変更した。ずっと持っているべき本のような気がしたから、手に入れたかった。

わたしのために書いたんだろうかというようなタイトル。

書き手が自分のあり方の揺らぎを感じたときに言われたという言葉が、目に焼き付いている。

 

「それは、きちんと前に進んでいる証拠です。」

 

ああ、「ぐらぐら」の状態は、揺らいでいる状態は、悩んでいる状態は、「オッケー」なのか。

走りながら、泣いていた。ああ、どうしてこのタイミングでこの記事に出会えたんだろうか。

憧れの達平さんにも、この言葉が同じように響いている。

 

残念ながら本屋には在庫がなく、図書館のティーンエイジャーのコーナーにて見つけ、イヤホンをした制服姿の少女の隣で読み始めた。延滞している本のせいで借りられない(あほ!)と気付き、閉館までの10分で読めるだけ読んだ。脳内に焼き付けようとしなくても言葉は勝手に焼き付いた。

わたしと同じように、「おとななのに」「ぐらぐらしている」人が、読んでいる文字のむこうにいた。久しぶりにどきどきしていた。わたしはこのどきどきがずっと味わいたかったのだと思った。よくわからないけれど気持ちがよかった。夢中だった。

 

名残惜しく本を戻して乗ったバスで、最初に目に入った達平さんの記事を読んだ。

 

引かれていたズーニーさんのコラム(ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。)のなかの言葉、そして、記事そのものをつくる達平さんの言葉、そのひとつひとつが、パズルのピースのように、わたしのなかにはまっていく音が、ぱちんぱちんという乾いた音が聞こえる気がした。

 

「うそ」をつくことで、自分の想いが置いてけぼりになる。

「正直」にいること。「うそ」をつかないこと。

それが、自分の色を取り戻す、すべだと。


ああ、だから、色が消えていったのかもしれない、と思った。

手帳に残した風景たちは、あんなにも鮮やかで、カラフルだったのに。

そこにいた自分は「本当」だったはず。

 

どんな場所でも「がんばる」をしてしまうわたしは、今年に入ってから、それぞれの場所での期待が大きくなっていった。それにはちゃんと応えなければ。期待をしてくれる人に申し訳ない。大好きだから。ぽんこつに価値を見出してくれているんだから。へまをして信用を失ってしまうのは怖い。大事な人から見捨てられるのは怖い。

 

そういう、ちいさい「がんばり」という鎧を着た「うそ」を重ねていた。

自分に。


自分ができるかできないか、半信半疑でも、がんばれる、応えられると思わなければ保っていられなかった。どんなことがあっても絶対に断れなかった。がんばればできる。

だんだんと、みんなが理想とする「わたし」と離れた「本当はぽんこつな自分」を認められなくなっていった。恥ずかしくって恥ずかしくってたまらない。自分でも見たくない。


両親にとっても自慢の娘で、

先生にとっても自慢の教え子で、

仲間にとっても自慢の仲間で、

彼氏にとっても、自慢の彼女でいたかった。

 

そうじゃないと、生きている価値がない気がした。

 


そういう「がんばり」や「逃げ」という小さいうそが、まだ子どもでいる、いたい心に積み重なっていったのかもしれない。
あんなに大好きだった色も、積み重なったうそたちが、薄いフィルターのように、もやのようにかかって、よく見えない。
そうして、この世界に色があったことさえ忘れてしまった。

 

自信がない自分がどんどんいやになる。
だから「がんばっちゃう状況」や「期待そのもの」を排除しようとしてきた。
同時に居場所も失っていくことに気付いて心細くなった。こわくなった。

それでも、本当に進みたい方向に絞りたかった。それをちゃんと、もう一度、小さいこの手に取って、見たかった。
ちゃんと自分で見つけたきれいな色が、どこかに、たしかにあったはずだった。

 

 

そうなのだ、どきどきしているとき、わたしの見る世界は色づいていた。

やっと、やっと思い出した。

 

 

ぽんこつだけど、

 

色づいた世界そのものが愛しくてたまらないことも。
かくれている色を見つける力があることも。
色の内側のにおいを感じる感性があることも。

 

むずかしい色の名前はわからないけれど。

勉強不足だけれど。

 

もしかしたら、もしかしたら、そんな自分が役立てることがあるかもしれない。
わたしにとってとびきり色鮮やかな、「アカデミックな」世界で。

 

いま、帰ってきていきなりワードを開き、何も食べずぶっ続けでこれを書いている。

気付いたらもう夜中。この文章をどうしたいのかわからないけれど、とりあえず書いている。自分の中にあるものを表現することからだと、ズーニーさんが書いていた。わたしのばあい、それはまず、言葉、文章だったんだと思う。

 

明日、まだ読んでいない沢山の本を返して、『おとなの進路教室』を借りよう。あさってにはAmazonから届くけど。待てない。


そして、来週、相談室の彼女にまた、聴いてもらおうと思う。
ごちゃまぜのマーブルでも、たぶん結構いいセンスをしている、わたしの色のはなしを。

 

40分の電話で大事なことに気付かせ、わたしにエンジンをかけてくれた彼にも、会ってくれるか聞いてみようと思う。ぽんこつだからまた「つまんない」と叱られるかもしれないけれど。もうすこし、整理できたら。

 

達平さんが紹介していた山田ズーニーさんのコラムには、こう書いてあった。

「人は、多様な色を
 さまざまな感情の機微を
 心を揺らし、味わいたい、と願う生き物なのだ。」

こんな、やわらかく、とても本当の、美しい言葉を綴れる人になりたい。

 

堂々とおっぴろげていくことにしよう、これから。

 

午前四時過ぎという一番文章を書いちゃいけない時間帯にこんなことを7000字近くもなぐり書いてしまう、ぽんこつニート・25歳・女性)だということも。

 

自分の「なりたい」が久しぶりに聞けたので、寝ます。

赤ちゃんの吐息くらい、微かだけれど。

微かな息だって、立派な生のあかし。

残しておきたい。明日からの自分が、見つけた色を見失わないように。

https://www.instagram.com/p/BKixOvxhRv_/

あたまほわ〜 #wheniwasababy

ずっと、この身体で生きている。