メンテナンス中

 

只今、メンテナンス中です。

 

いい言葉。とてもしっくりくる。
必要だから止まっていますよ。そういう感じがする。

 

わたくし、只今、メンテナンスの時期に入っています。

 

わざわざ短い記事をたくさん載せることをしないのは、やっぱり、わたし自身がこの思考を並べてすこし遠くから眺めてみたいからのようです。

そんな自己中心的極まりないこの言葉に、まただれかの目が触れているということ。恥ずかしいしすみませんという気持ちになるけど、きっとこの字にたどり着いてもらったのには、何かしらの理由があるのだろうなあと思う。

今日あたり久しぶりに開いて、ページを開いているのが1000人ほど、という数字を見て、ひい!と言いました。

 

 

 ***

 

 

昨日、博士の先輩に誘っていただき、ご飯を食べながらお話をした。

 

思う存分立ち止まっていいんじゃない?
必要だから。

たぶん、またあるきたくなるから。

 

最後、電車の降り際にかけてもらったその言葉を忘れたくなくて、電車を降りてすぐ、手帳に書き込んだ。

 

誰にも言ってなかった、わたしの「先生」に対する姿勢を、始めて言語化した。できた。

自分がすごくぽんこつだから、出来の悪い子だから、先生になるべく会わないように、会っても「ああ・・・もうほんと、生きててすいません・・・」という気持ちでサササっと傍を通り過ぎていたということを。

逃げるようにして。

いつからだろうか。どうしてだろうか。

 

たぶん、自分のなかの落差に、追いつけていなかった。
「いい子ちゃん」だから。
いや、「いい子ちゃん」でいなきゃと思っていたから。

 

小さい頃から、素直なところがいいところだと、ずっと言われてきた。

親にも先生にも。それが正しかったかわからないけれど、わたしの感情の動きは、見ている人にとってはやっぱりわかりやすいらしいということが分かってきた。
でもそれは、見せてもいいと思う人にしか見せてない気がする。
素直でいていいと思える場所は、居心地がいい。そういう居場所にいつも出会ってきた。好きな居場所に、好きな人といっしょにいたいと思うのは、人間の普通の欲求だと思う。

 

 

 

 ***

 

 

連休中に、那須の旅に行ってきた。
大学のサークルの友達。という表現では足りない、
ほぼ、家族、と言っていい3人と。


わたしのだめなところも好きなものも性質もなにも全部知ってる。本当の家族よりも。
それでもこの人たちは、家族のように、当然のようにいま一緒にいる。それがわたしにとっても、すごく自然だ。彼女たちがどんなことをしたとしても、信じられる、味方でいる自信がある。だめなところは、だめだなあもう!と言う。言われる。それでも笑ってそばにいる。会わなくても会っていても変わらない。いちいち言葉で確認しなくても、みんな同じことを思っているという安心感がある。絶対的な、安心感が。

 

4人で宿での夕飯を食べ始めたとき、いきなり若い女性に名前を──フルネームに「ちゃん」をつけて──呼ばれた。

彼女を見つめて3秒停止して、はっと気づいたのは、彼女が小学校の同級生だということ。わたしが5年生で転校してからは、一度も会っていなかった。

実に、15年ぶりの再会。

 

よくすぐ分かったね、とお互いに。

わたしはすっぴんでいるのは通常運行だけれど、彼女はお風呂のあとだからメイクを落としていたみたい。

 

お互い住んでいる場所はそこそこ近いのに、那須で会うとは。

たまにこういうびっくりするようなことが起きる。

 

小学校の頃、わたしは彼女といっしょに習字をやっていた。

当時わたしは、いつも賞を取っていた。学校でも、全国の大会でも。始業式や終業式などの全校集会の日は、前に呼ばれて賞状を受け取りに行かなきゃいけないから朝から最悪な気分だった。入選する度に、おじいちゃんおばあちゃん、家族、いろんな人に、やっぱり血だねえ、才能だねえ、と言われた。

わたしのおじいちゃんは、お習字の先生だった。

わたしが小学生の頃に亡くなったから、おじいちゃんに会った記憶はすこししかない。お習字を教わったこともないけれど、わたしの書くものが評価され続けた理由はたしかに、血、なのかもしれない。

それでも、休日に先生のところで、朝から夜までみっちり練習し続けて仕上げたものが入賞したときに、「才能だ」と言われるのに、子どもながら、心のどこかが、もやもやしていた。

たしかに、わたしはいつも、がんばらなくてもそこそこできた。
文字どおり、優等生だった。成績はいつもよかった。なんとなく教科書を見れば理解できたから、テストの点数は取れた。だから、社会がいつも苦手だった。勉強して覚えなきゃいけないから。

高校受験は大変だったけど、いちばん入りたかった高校に入るとさらに人生が楽しくなった。やっと「言葉が通じる人」がまわりに出現した感覚だった。

でも、大学受験が辛かった。

苦手な日本史が足を引っ張り、なかなかいい成績が取れなかった。そんなとき、大好きな友達が心の支えだった。まわりの友達はみんな、だめなわたしをまるごと全部知っていた。それでも一緒にいた。居心地が良かった。

でも、親の目が嫌だった。わたしの「実力」が、数字で如実に出るから。合否で運命が決まるから。あなたの娘は、この程度なのだ、と。

つらくてつらくて、自分を傷つけたいと思う日も多かった。実際に傷つけていた。第一志望の大学の試験日の前日も。

第一希望の大学は落ちたけど、東女の英文に受かった。

2010年にあの門をくぐったときはひとりぼっちだったけど、卒業するときには友達や先生と一緒だった。卒論の先生からの評価も高かった。

そして、大学院に入学して、がんばってもできないことが突如として出現した。
今までとは違う。あれおかしいなと思った。
評価もされたけど、それよりも劣等感の方が強くなった。

 

自分より「できる」人に、たくさん出会った。あれ、意外と多いぞ。当たり前だけど。なんだか辛いぞ。 

そんなふうにして自分の価値を感じられなくなり、先生にできる子として見られない自分が恥ずかしいわたしは、とりあえず逃げ回った。

 

そうなんだなあ。知らんかった。

でも、たしかにそうだった。

 

 

博士の先輩は、わたしと似ている部分があって、わたしのことをすごくよく理解してくれている。

先生から逃げる気持ちも理解した上で彼女は、

「先生、わたしたちのことそんなに期待してないよ」

と言った。

 

ぬあ!と思った。

 

そうだ。そうじゃん。
教授にとっていち学生の、院生のぽんこつ具合なんて、どんだけちっちゃなことだろうか。学生がすごくできようができなかろうが、所詮他人事。評価していただけるのはうれしいけれど、本当の実力より上に見積もられて気に入られたところで何の意味もない。中身が空っぽなんて、無意味のかたまり。あほみたい。
それに、もうわたしのだめなところもわかってくれている。べつに逃げることなんてない。わかんない、できないから教えてくれ、勉強したい、勉強している、でいいのだ。

 

そのあとまわりの先生の顔が思い浮かんだけれど、数分前とまったくちがう感覚だった。
ずっと、楽だった。

 

大学二年生のとき以来の、まっさらな、知識や知性への憧れと好奇心。

久しぶりの感覚だった。

 

自分でも、長いあいだかけてよう作ったなあと思う。
名付けて、「期待されているからそれに応えるわたしでいなきゃセルフイメージ」。
でも、長女や長男の人には比較的多いんじゃないかと思う。
どうなんだろうか。

 

 

 

***

 

 

ときめくものを取捨選択することが大事だと思う。
そういう感性を研ぎ澄ませること。

本当に大切な人は、どんなことがあっても見守ってくれる。
今もずっと、その人から大きな想いを受け取って生きている。
そういうエネルギーが、不思議と、ゆっくりと、自分のなかに降り積もっているのだ。

自分を低く見積もらないこと。
自分の状況やまわりの環境からの影響で自信をなくすこともある。
信じるものを、決めること。
信じたい人の言葉を信じること。
ちゃんと、自分で。


それはたぶん、自分の吹く笛の音を愛することとも同じだ。
自分の息を笛に吹き込む。自分にしか出せない音が響く。
どんなにまわりがうるさくたって、それぞれ奏でる旋律が違っていれば、それだけ自分の音がわかりやすくなる。
一斉に吹くユニゾンでも、自分の音をずっと聞いていれば見失わないはず。

ゆっくり。じっくり。

ゆっくりする時間、なかったな。
振り回されすぎた。

振り回してもらうの、うれしかったから。


でもこれからは、片足はどこかに固定しなきゃ。
そこからがんばっても手が届かなかったら、ごめんなさいと言って、あきらめること。

嬉しいけれど、わたしはここで生きます、と。
たぶん、そういうことなのだ。

そしてそれは、おとなになるということでもある。たぶん。

がんばる、をすることで、人は評価される。よくがんばったねと褒められる。
でも、もう、評価を求め、評価で喜ぶ時期は、終わり。


自分のときめきを堂々とコンパスのように携え、その針を信じて進めばよい。

 

「自分の本音と向き合う」って、どういうことだろう。

自分の、内側の声。


だれにも左右されない、嫌われる嫌われない、信じる信じないの問題ではないところにあるもの。

それは揺らいではいけないと思っていたけれど、揺らぐこともある。

どうなりたいか。

手段とはちがう。どういう人間になりたいか。
それって、明確になっていないと、だめな人間、なんだろうか。


うまくことばにならないこともあると思う。


今回、わたしも同じようにぐらぐらなんですという言葉や、書いてくれて、言葉にしてくれてありがとうという言葉、パワーや勇気をもらった、という言葉をくれた人が何人もいた。

そういう人にわたしの言葉がめぐっていったのは、完全に予想外だった。このぐるぐるはわたしひとりで、わたしひとりのなかで完結させるべきだ、そうしようと思っていたから。なぜかそれをおっぴろげてしまったわけだけれども。

結果的になにか意味を持ったものになり得ると気付いた。
目的は違っても、もしかしたら、どこかで化学反応が起こるかもしれない。

それは、生きることに希望があるということとつながるのではないか。

だって、絶望のなかに希望を見出してくれた人がいるのだから。

それによって、わたしも希望を見出せたのだから。

 

ぐらぐらしてても、いいんだって。
悩んでもいいんだって。

 

それは

今までちゃんと進んできた証拠だから。

まじめすぎるほど自分の人生に向き合っている証拠だから。

これから前に進みたがっている証だから。

これでいいのかと疑い、悩むことは、時間の一番いい使い方を探すことだから。
時間を無駄にしたくないというのは、自分の命を大切にしたいという欲求だから。

わたしは、わたしのように、自分の弱さや逃げにいやになりながら、それでも向き合おうとする人が、とても好きだ。

そういう人が何人もまわりにいることがわかって、ましてやそれをまっすぐ伝えてくれる人がいて、すごくうれしかった。こんなに素直で誠実な人たちに囲まれるわたしはとても恵まれている、と思った。

 

いっしょにもがいて、苦しんで、いっしょに生きたい、と思った。 

 

 

過ごしている時間とか、過ごしていた時間、どれだけ会ってないか、連絡を取っているかいないか、そういう表面的な状況や言葉を超越した場所で、人は繋がることができるのだということを、思った。

もしかしたら、知っている知らないの問題が、わたしがこれでもかとおっぴろげてしまったことによりぽーんと飛んでしまったのかもしれない。
びっくりするほど、丁寧に言葉を連ねてもらった。
そして、わたしはそれが、とても愛おしく感じた。
なんかこう、ぐいっと近い距離に引き寄せられたような感覚。愛おしいという言葉で合っているかわからないけれど、こう、いろんな色の服を何枚か着てかくれている、身体の、心の奥の柔らかいところを見せてもらって(まあその前に見せているわけだけれど)、胸が打たれた、ああ難しい、なんて言えばいいんだろう。

元彼との遠距離恋愛を通し、物理的な距離はどうやっても埋められないと学んだ気がしていたけれど、ちがうのだ。
そんなものを超えるのは、そんなものを超えて触れ合うのは、もしかしたらそんなに難しくないのだ。


いや、難しい。
すごく難しいけど、難しくない。


どこか心のなかに、アンテナがあれば。
そんなことを思った。

 

***

 

 

唐突だけれど、坂爪圭吾さんという人がいる。
わたしはこの人の文章が好きだ。それはこの人の感性が好きだから。

二年前に彼のブログの存在を知ってから、実は何度かお会いしてお話したことがあるのだけれど、絶妙な存在感のある、まさに「めっちゃ生きている!!!」という感じな人だ。

今日読んだ記事も、もう、どんぴしゃだった。

 

ibaya.hatenablog.com

 

この人は、人間のどうしようもない弱さを掬い上げる。
迷うことや逃げることを受け入れ、それでも素直に生きたいと思い、たったひとつの身体で色々なところにぶつかっては感じ、感じ、ただ、感じている。
彼の、極めて身体性の強い描写力と明晰な思考力にはいつもため息が出る。 

 

自分が弱い存在だからこそ、弱さの余白に希望は舞い込み、多くの助力を得ることができる。自分が弱い存在だからこそ、自分が自分を励ますために必要とした言葉の数々が、同じような弱さを抱えるひとにとっての(酷く傲慢な言い方になるけれど)ある種の光になることができる。「それならば」と、私は思う。自分の弱さを忌み嫌うだけで終わらせるのではなく、ひととひととを結び付け得る尊いものとして、大切に扱っていきたいと思った。

弱さは「希望」だ。 - いばや通信

 

うわあ、と思った。まさに今起こっている現象。

この弱っちい自分が、弱っちい自分を励ますために必要とした言葉。
それが、おんなじように弱っちいだれかに響くかもしれない。

弱さは、だれかとつながるための、糸になるのだ。

 

坂爪さんの文章は、しっかり自分の内面を見つめた身体性に基づきながら、自分の信念や信条がしっかり主張されているように思う。すごく尊敬する。でもたまに、彼の素直な言葉が、すっと入り込む瞬間もある。ふわふわした、あいまいな思考や感覚。そこにぐいっと引き込まれる。それを、本当によく言葉にするよなあ、すんごいわあ、と思う。だから好きだ。

 

 

これまた唐突だけど、自分たちに「臆病者の一撃」という名前をつけたバンドがある。

BUMP OF CHICKEN、である。

英語的には全然だめな感じなのも彼ららしくていい。

わたしはこの四人のバンドが、どうしようもなく、好きだ。

 

今気づいたけれど、好きなもの紹介みたいになってる。
いいか、ときめきを探しているんだから、そういう主旨か。

最後には全部つながってるので(たぶん)、暇な人がいたら付き合ってください。

 

BUMPの歌詞を書くのは、ボーカル・ギターの藤原基央
この人はおかしいんじゃないかと思うほどすごい歌詞を書く。

 

奥の奥の奥のほうにある感覚や不思議、だれかのぬくもりを求める心の声、さびしさ、せつなさ、かなしさ、希望、生きること死ぬこと、笑うこと泣くこと。

言葉をのせた声と音楽だけでこれだけ色彩豊かに表現する人たちをほかに知らないので、ずっとこの人たちの音楽を、出会ってから6年ちょっと、本当に、ずっと、聴いている。


彼の詩は文学だと思う。それも児童文学。
これも身体性が高く、子どもでもわかるようなやわらかさを持った言葉で紡がれている。
彼らの音楽がよく中二病だと表現されたりするのもそれに起因するのではないか。
生きる上での葛藤、心の闇、自分の「生」にばかまじめに向き合っている。
なんだかずっと、湿っている。思春期なのだ。

この子どもっぽい思春期っぽい心が呼応してしまうのも無理はないと思う。

この湿り気にどうしようもなく惹かれる。共感してしまう。

以下は、いちばんよく知られている、「天体観測」の一節。

 

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
イマというほうき星 君と二人追いかけてた

 

いまこの瞬間に集中しすぎる質があるせいで、立ち止まって未来はどうなりたいか聞かれると、へ?ときょとんとしてしまう。うん、たしかにすごく子どもでしかないのだけれど、一度に見える視界が狭いのだからしょうがない。わたしにとっては、超通常運行なのだ。

 

研究者として生きるということは、書くことで生きていくということだ。

好きなものに囲まれて生きられるようになるには時間がかかる。
実現には長い時間がかかる。先なんてたぶん見えない。

だから焦ったらいけない。急がば回れ
じっくりじっくり、成果が出るまで、認められるまで、認めさせられるまで、向き合い続けること。

そこからだ。だれかが魅力を感じてくれるような見せ方ができるのは。

それでもやっぱりわたしは、共感してくれる人を、一人から二人に増やしたい。 

 

 

***

 

 

「わたしが研究者をやっているのはね。」

 

この人はいつでも、まっさきにいちばんほしい言葉をくれる。
真剣に話を聞いている脳のはじっこがそう思っていた。

 

夕方、大学のお世話になっている児童文学の先生と少しお話をした。

 

ずっと、いちばん聞きたかった、研究者をやっていてよかったと思うこと、その価値を、最初に話し始めるところ。

本当に、この人はどうして、いまのわたしに必要なことも不安なことも全部見抜いて、そのときそのときに一番大事なものをちゃんと手渡せるのだろう、と思う。

 

苦しかったと思う。 きっとご両親の期待もあるでしょう、と微笑んで言った。


卒業式でお会いしたとき、ものすごく素敵なお父さんお母さんで、さとみちゃんがとっても大事に育てられたことが、さとみちゃんに期待していることが、すごく伝わってきた、あんなにやさしくて素敵なご両親、裏切れないと思う、それがあの日、すごく、すごくよくわかった、と。

 

なんだか、まわりの期待に応えようとしてきて、いま、わけわかんなくなって、だれにも相談できなくて、ふと気づいたら、まわりの見ているわたしと本当のぽんこつの自分がすごく離れちゃって、情けなくて、恥ずかしい、こんなに先生にお世話になってるのに、だめな自分でもうほんとに恥ずかしいって、

 

と、ここまでかろうじて声が出ていたと思う。

ずっと泣けなかったのに、初めて泣けた。話せなくなった。あれ、わかる人いますか、一番もどかしいですよね。うっうってなって息が吸えないやつ。

 

「恥ずかしくなんかない。」

 

わたしの泣き声と鼻をすする音とのあいだに、その声がはっきりと聞こえた。


彼女は、わたしが二年生のときから、ずっとずっと見てくれていた。

イギリスのファンタジーや妖精などについての彼女の授業。毎回、見せてくれる世界が面白くてたまらなく魅力的で、大好きだった。毎週毎週とても楽しみだった。
そして、彼女はいつもわたしのことをわが子のように見る。子どものような瞳から、深い愛情が伝わってくる。いままで出会った人で、あんな人はいない。そう断言できる。ん、いや、その瞳はたまに母にも感じる。少女だけれど、お母さんの、やわらかく優しい瞳。


失恋してから初めてだ。こんなに、頭が痛くなるまで泣いているのは。

これがわたしだ。と、思う。いま。

 

わたしがこの世界でいちばん、この人に申し訳ない、こんな自分で恥ずかしい、と思っている人から、「恥ずかしくなんかない。」と言われた。

 

いい子ちゃんだ、つまんないって言われたんですと笑いながら言うと、先生はこう言った。

昔ね、なんであなたは何でも吸収して何でもがんばれるんだ、なんでそんなにいい子なんだ、きもちわるい、こわい、と言われたのよ、と。

いい子はね、研究者をやるには大変だと思う、それに論文を書くのは向いてないと思う、と言われた。先生もそうだと。

いろんなものに影響されすぎるから。書いてても、こんだけいろんな研究者が書いてるんだからもういいじゃんと思ってくる。知識不足で申し訳なさを感じてたこともあるし、そのときは本当につらかった。笑わなかった。と。

 

わたしだって、ずっと恥ずかしかった。緊張して。やっとこれでいいと思えたのはここ数年よ、でもね、いま、すーっごく幸せ。

 

と、少女のような満面の笑顔をした。

 

その笑顔に惹かれてここまで来た。

いつだって子どものように生き生きとしたその姿に。

 

ああ長いんだなあ、人生。

 

こんなにも、同じ目線で、まっすぐに目を見てくれる。

この人とはなれるの、いやだなあ

好きだなあ

 

と書きながら泣きじゃくっている。顔も手もびっしょびしょでわけわからない。たおるもびしょびしょだし。

 

最初の記事に書いた、このぐるぐるのきっかけの電話のことを話したら、

「いい人に出会ったわね。」

と、うれしそうに微笑んで言った。本当に、お母さんみたい。

 

帰りがけに、もう、今日はいい子ちゃんで会いたくないと思って・・・と言ったら

まだだめよ。と言われ、ええー!と言ったら

けんかふっかけなきゃ! と。

 

 

この人みたいに。

 

ばかまじめに、人生をかけて学生と向き合う人になりたい
大学の先生になりたい
悩む若者たちにじかに接して社会に送り出したい
きっと今まで出会った人にもらったものも手渡せる
空きコマは面談でいっぱいいっぱいで、死にそうになるくらい忙しくて
でも
勉強してきた最後に「知性」のプレゼントをあげられるような
学問の楽しさを垣間見させてあげられるような
「いい子ちゃん」でいる子の内側を見つめられるような

一番身近なおとなでありたい

尊敬される人ではなく
好きだと言われる人でありたい

だめなところもあるけれど
それでも夢中になって好きなものを好きだと言い
毎日だれかにそれを紹介していく
毎週の授業が待ち遠しくてたまらなくてどきどきしながら準備する
たった90分で、ひとつでも多くときめきを手渡せるように
ひとりでも多くの若い心に響くように

 

いま、たしかに、そう思っている。

 

うん、もしかしたら変わるかもしれない。今泣いていてもまた少しして落ち着いたら、冷静になってまたぐらぐらの位置に戻るかもしれない。

それでもいま、たしかにそう思う。

 

昨日の先輩の顔も、先生の顔も、会って話してくれる人たちの表情は、これでもかとわたしとむき合う真剣さに満ちていて、もう、それを思い出すだけで涙が出てくる。

電話の声もそう。メッセージやコメントの文面もそう。

もう、いっぱいいっぱいになってしまう。

 

大きな力で、背中を押してもらう。

 

弱虫でも、臆病者でも、どーんと一撃、なにかを響かせることができるんじゃないか。

同じように臆病な、弱虫なだれかの胸に。

 

 

いろんな人が鳴らしてくれる手の音がちゃんと聞こえる。

 

おとなになろうとする自分にぽつんと置いてけぼりにされていた自分のもとへ、

一歩一歩、歩み寄っていっている気がする。

 

 

 

ずっと、この身体で生きている。